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《2012.2月−10》

激烈な発想、鮮烈な舞台
【テトラポット (北九州芸術劇場)】

作・演出:柴幸男
23日(木) 14:05〜15:50 北九州芸術劇場 小劇場 2,500円


 大きな時空を重層的に構成していて叙情性も高い、柴幸男らしい発想に満ちていて鮮烈な印象の舞台ではある。
 ただ若干の切れ味の悪さが残るのは、どうやら俳優へのあて書きが影響しているようだ。

 舞台は海底に沈んだ小学校の教室。時計は2時46分で止まっている。
 その場所で、海坂家の母の葬式に集まった兄弟たちの記憶が、兄弟のひとりの目を通して語られる。

 「海坂」の「坂」には「境界」の意味がある。ここではいくつかの「境界」が出てくる。
 ひとつは、「3.11 2時46分」という時間の壁(境界)。ここで時間の進行は途切れ、越えきれずに逆流しループする。
 さらに空間の境界は、陸と海の境界「テトラポット」と、海と空の境界「水平線」。陸と海の境界を越えて海の底に引き込まれてしまった教室。その教室に残る海坂兄弟のひとりの記憶が、2時46分で止まってしまったままの教室を漂って、時空を自由に駆け巡る。
 4人の兄弟たちそれぞれの物語は、短いシーンを小気味よく転換しながら表現されていく。そのような人の物語を語りながら、地球に生命が誕生して今までの進化をイメージさせる。境界を踏み越えて歩き出す人に、海から陸に上がる生物の進化を重ね合わせる。潮が引くとき時間は遡り、潮が満ちるとき時間は進む。
 場面転換の暗転と明転の間が極度に短くて、暗転と明転の瞬間に無機質な切り裂くような音が入る。その強烈さで舞台のスタイルを形作っていて、この舞台における俳優の身体性を規定している。

 俳優たちは、極度に短い暗転と明転の間の制約に対応しながら、それぞれの役を演じている。俳優たちはかって見たこともないほどに生き生きと魅力的だ。それは、俳優が自分の持つキャラを出しきっているためだと気づく。作者が、みごとなあて書きで俳優のキャラを強調して役のキャラとしているのがわかる。
 それでもこの舞台では、何かが違うという感じがぬぐえない。なぜかという疑問が頭をもたげてくる。あて書きで引っ張り出された俳優たちの生々しい存在感が、本来幻想的であるはずの舞台の印象を歪めているのではないか、という疑問が。舞台を観ていて若干の違和感を感じるのは、たぶんそのような俳優たちの演技が原因ではないか。ここでは俳優は、生々しい身体性から一歩昇華した抽象的な身体性を要求されているが、それが十分にはできていないからではないか。
 そのためにお涙頂戴になっていたラストの「ボレロ」の合奏のように、それぞれのシーンがシーンとして十分に際立たない。それが残念だった。

 この舞台は、北九州では20日から26日まで9ステージ。わずかに空席があった。


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