軽くて楽しいミュージカルで、“つまらん話”を、脚本、作詞、作曲、振付の力でうまくミュージカル化している。あとは俳優だが、この日本版、何とかカッコだけはつけているが、歌もダンスもまだまだ甘くて軟弱さを払拭しきれず、その限界が見えてしまう。
ウエディング・シンガーとして働くロビーは、恋人リンダが結婚式に現れず結婚は取りやめになってしまった。ロビーは自暴自棄になり仕事中もトラブルを起こす。そんな時に力づけてくれたウェイトレスのジュリアの結婚式の準備を手伝うようになり、互いに惹かれていく。
原作は、同名の1998年のアメリカ映画だが、見ていない。
舞台は2006年にブロードウェイで初演され、その年のトニー賞にもノミネートされた。日本版は2008年に日生劇場で初演。2011年にシアタークリエで再演され、その舞台は福岡市民会館でも上演されているが観ていない。
今回の博多座での公演は、再演版の一部キャストを替えての上演だ。
アフタートークで新納慎也がいみじくもも言ったように、“つまらん話”だ。超ド級のミュージカルなどと違って物量では見せないから、俳優の力量こそが問われる舞台だ。
その舞台、楽しくないことはないが不満もあって、俳優の力量不足を感じさせられた。日本版の上演台本も演出も振付も、どこか日本の俳優の技量に合わせた改訂を施しているように見えるというのは、あながち間違ってはいまい。
ストーリーはお定まりのさや当てで、正直どうでもいい話をちょっとしたエピソードでデコレートし、かなりわざとらしくキャラ付けした人物のからみで膨らませる。
それを、緩急をつけながら歌とダンスでムリヤリ展開していく。節目節目に派手な群舞を入れ、ソロやペアの歌とダンスでつなぐ。
群舞はその勢いにごまかされそうになるが、よく見るとかなり雑だ。
全員が何とか合わせるのに必死という感じで、全員がビシッとはそろわない。ビシッとそろった上で役の個性を出すというレベルには程遠い。みんな同じ振りだが、全体の統一をとりながらダンサーごとに振りを変えることなど想定外のようだ。だが、それらのことができないから、群舞が単調で甘いと見えてしまうことになる。
ソロやペアの歌とダンスは、役のキャラよりも俳優のキャラのほうに合わせている。俳優が役に迫っていくのではなくて、役を自分のキャラに引き寄せて演じる。結果、それぞれの役が軟弱にデフォルメされて見えるのはそのためだ。
ロビーの井上芳雄は、陰影を抑えたメイクで80年代のかなり単純なアメリカ青年というイメージを狙っているのがわかったが、物わかりのよい好青年という感じを払拭できておらず、やや中途半端な印象が残った。
ジュリアの高橋愛は清楚でキュートなのはいいが、それだけで終っている。
600席のシアタークリエ用に作られた舞台を1500席の博多座で上演したら、やや発散してしまうのはやむを得ないか。600席くらいのまともな劇場が福岡にないことこそが問題だ。
この舞台は博多座ではきのうときょうで3ステージ。ほぼ満席だった。