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《2013.3月−9》

町はこんなにエキサイティングだ
【枝光本町商店街 (のこされ劇場≡)】

構成・演出:市原幹也
30日(土)13:55〜16:50 枝光本町商店街 1,800円


 この街歩き演劇ツアーは、街歩きのおもしろさを演劇にまで高めていて、枝光本町商店街の積み重なり埋もれた時間と空間に分け入って、この土地に生きた人々の生活の息吹を感じる。そんな時間旅行の楽しさをたっぷりと味わせてくれた。

 枝光本町商店街のお店を回って、枝光本町商店街で長く商売をしておられる方の話を聞く。
 参加者は12名で、男女6名づつ。東京からの参加者が多い。演劇関係者もけっこうな割合のようだった。若い人が多く、わたしはダントツの最年長。
 案内は、のこされ劇場≡の沖田みやこさん。構成・演出の市原幹也さんと、枝光アイアンシアターのスタッフの山田夏帆さんも同行する。
 まず、集合場所である枝光アイアンシアターのロビーで自己紹介。そのあと、案内の沖田さんから枝光の町の簡単な説明がある。それから町に出発する。

○水摩直美さん(みずま菓子舗)
 まず、枝光アイアンシアターに近いみずま菓子舗に行き、水摩直美さんの話を聞く。みずま菓子舗はひょうたんもなかを作って65年というお店で、白川が埋め立てられて作られた道路に面している。
 お店の道向かいの細い路地がむかし「地獄横丁」と呼ばれていた話から、ここがかって歓楽街で、隣接して遊郭街があって、花魁道中があるほどに栄えていたという。
 話を聞いたあと、モナカの皮と餡を持ってこられ、参加者各自がモナカを作っていただく。これがおいしかった。お店滞在は約20分。

○田中幸治さん(ふるーつ&やさい・たなか)
 続いて、商店街に入って、果物屋さんの田中幸治さんの話を聞く。この方は“枝光の松尾芭蕉”と自称される“うたびと”で、店頭に箴言のような歌のような文言を書いた色紙が所狭しと貼られている。それをアミダくじで当たった人にあげるが、当たらなくてむしろよかったかな。
 最後にバナナのたたき売りを披露してくれる。あとでそば屋さんでもバナナのたたき売りを聴くことになるが、田中さんのは語り調で節が弱い。お店滞在は約15分。

○井上敏信さん(生そば鶴亀)
 生そば鶴亀は、かってのメインストリートの入り口近くにある。岩下俊作が常連で、「乱れ打ち 松五郎の肌 汗光る」という岩下俊作自筆の色紙が飾られている。いまは奥さんが入院中のため休業中。
 67歳の井上さんは、写真を引き伸ばしてパネルにするのが得意で、枝光商店街の人たちのむかしの写真を大きく引き伸ばして飾っている。それに加えて、枝光アイアンシアター関係の資料や写真パネルやグッズを並べていて、店の半分以上が展示場所と化している。
 写真の中に、枝光にあった劇場・ニコニコ座の写真がある。女義太夫の豊竹団司のお練の写真で、立派な劇場の後方にモダンで巨大な建物が見える。それが八幡製鉄本事務所(本社)の建物で、商店街のほんのそばにあったことがわかる。
 井上さんは、高齢の方に聞き取りをして戦前の枝光本町商店街の店舗の配置図を復元されている。というのは、八幡製鉄所のほんのそばの枝光本町商店街は、軍需上詳細な地図を作ることを禁じられていたから、当時の店舗配置がわかる地図がないからだという。ただ、聞き取りをしても白川周辺の詳細はわからないらしい。というのは、子どもがそのあたりに行くことを禁止されていたためのようだ。
 井上さんもバナナのたたき売りを披露してくれたが、こちらは節がついた正調だった。お店滞在時間約35分。

○三木進さん(三木呉服店)
 商店街の肉の片岡の前のテーブルで、肉の片岡で買ったコロッケなどを食べながら、三木さんの話を聞いた。ちなみに、肉の片岡のコロッケはほんとにうまい。
 三木さんの写真を見せてもらいながら、当時の話を聞いた。三木さんが高校を卒業された昭和31年に遊郭が廃止されたはずなので、遊郭の様子を尋ねてみた。子どものころは飲み屋街も含めてにぎやかで、きれいな女性が多かったという。
 三木さんのお話が約20分。終って福島鯨肉店で魚の天ぷらを買って歩きながら食べたが、これもおいしかった。

○光の家(みつのや)
 白川の少し上流にあった築60年という料亭・光の家の建物を訪ねた。八幡製鉄本事務所にも遊郭にも近い高級料亭で、現在は空き家になっている。本館が2階建てで新館が3階建て。宴会だけで宿泊はさせなかったという。
 中に入ってそれぞれの部屋を巡ると、そのレトロで優雅な作りに、大正時代の小説の世界に紛れ込んでしまったような感じになる。
 料亭廃業後も、オーナーの“ユキコ”さんが80歳になるまで、お手伝いさんとふたりで住んであったという。その部屋が残されていて、若いころは高級外車を乗り回すなど派手で目立ったという“ユキコ”さんの、晩年の豊かな生活ぶりがわかる。
 各フロアを巡って新館の屋上に上がった。枝光の町はもちろん、皿倉山やスペースワールドもよく見える。
 その屋上で沖田みやこさんが、2007年に“ユキコ”さんがこの建物を出たときの様子を話してくれた。出る日は雨で、タクシーを待たせているのに“ユキコ”さんが出てこない。探しても見つからない。あきらめて外に出てみると、“ユキコ”さんが新館屋上から赤い傘を振っていたという。
 われわれは山田夏帆さんに連れられて建物の外に出た。見上げると、新館の屋上で沖田みやこさんが赤い傘を振っていた。ここでの滞在時間約20分。

 このあと、枝光アイアンシアターに戻って、終演。2時間の予定が3時間近くになっていた。

 この企画、町の人を演劇に引っ張り込むという仕掛けでもって、町に積み重なった時間を掘り起こすことで、町そのものを演劇化している。
 お店の人の話は毎回けっこう変わるらしい。この日は水摩直美さんの「地獄横丁」の話を発端に、遊郭のことにけっこう突っ込んだ話になった。そのあたりの一回性もまた魅力だ。
 光の家の再開発計画があって、光の家で締める今の形は今回が最後だということだった。


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