訳ありげにいろいろ詰め込まれているが、それらがドラマとして捩じ上げられていくことはなくて並置されたまま。結局は、質の悪いミステリーというか、ただの謎解きに終わった。
リバタリアン行政特区内の民営化された刑務所にソーシャル・ワーカーとして働く派遣労働者の向井と有島の夫婦。かれらのミッションは受刑者たちに「心からの反省」をさせることだが、有島はストーカー殺人犯の門田に、向井は安楽死殺人犯の占部にてこずる。
「ストーカー殺人、安楽死殺人、出生前 DNA 鑑定など、現代日本の抱える答えの出ない問いに挑む濃密な会話劇」というふれ込みだが、それぞれへの突っ込みは弱い。思わせぶりに繰り広げられる会話は薄くて、それらが絡んでドラマが大きく展開することはない。
刑務所の手前勝手な設定のリアリティのなさはどうだ。
アメリカでは民営化された刑務所は珍しくなく、受刑者を安価な労働力として産業化さえされている。日本にも刑期8年未満の初犯者に限られているが民営刑務所「美祢社会復帰促進センター」がある。「特区」という設定には意味がない。
受刑者に「心からの反省」をさせることが刑務所のミッションとはならないから、導入されることはないだろうソーシャル・ワーカーの存在意義はわからなくて当然で、受刑者の意識にもほとんど踏み込めていないから、カウンセリングに緊迫感の出ようはない。
そんなカウンセリングとソーシャル・ワーカーの日常会話がダラダラと2時間も続く。
正社員と派遣社員、不倫と妊娠と出生前 DNA 鑑定 などに触れられはするが、陳腐な一般常識がこれ見よがしに語られるだけで、想像力を刺激して新しいイメージを生むことはなく、それらが深められて大きなドラマを作っていくことはない。
ラスト10分での謎解きで、ストーカー殺人犯・門田が、愛する人の身代わりになってその人の罪を引き受けたという真相が顕れてそこだけは見せるが、それ以上は踏み込まないから、“へぇそうだったんだ”と思わせられるだけでほとんど何も伝わってこない。ミステリーに徹して門田の三角関係をトコトン描けばまだおもしろかったのだろうが、ミステリーの原則はみごとに踏み外していて欲求不満は解消されることはない。
観客に向かって語りかけたり1ヶ所だけスライドを使ったりなどの演出は、演出のための演出に終わっている。俳優の演技のレベルは低くはないが、戯曲の甘さと演出の弱さのためにその力を十分には引き出せていない。
この舞台はもともと100席ほどの劇場で上演されたもので、西鉄ホールではかなりスカスカに見えてしまう。上演空間の配慮も必要だっただろう。
この舞台はきょうとあすで3ステージ。少し空席があった。