*** 推 敲 中 ***
ワールド・ツアー中のレニ・バッソの「フィンクス」は、肉体どうし、あるいは肉体と映像・音楽が絡みあう激しい振付と演出で見せた。研ぎ澄まされていながら猥雑、引き込みながら突き放すという、相反することを高い次元で統一したという舞台だった。
ストーリーはないが、各シーンは関連しあい積みあがっていく。
ソロ以外のシーンではダンサー相互の間の距離とアクション・リアクションの緊密さが徹底的に強調されていることから、「人と人との関係性」がうまく描かれている。
鍛え上げられたダンサーの動きは、無駄がなくシンプルなまでに練りあげられている。しかし表現されたものは、何人ものダンサーが時として入れ混じり、さらに映像と音楽で強調されていて、決してシンプルではない。
前半はバックの映像が抽象的でコンポジションを見せるが、センスのいい動く抽象画を見ているといった趣だ。後半はややデフォルメされてはいるが舞台のダンスに呼応したダンスの実写フィルムを背景いっぱいに映写して、入れ混じるダンサーがさらに複雑な人間の関係を強調する。
特徴的な振付は、横に動く激しい動きのあと交錯するダンサーの腕が絡むとか、ラスト近くには相手を殴るというしぐさまである「関係性」の強調だ。しかし決して情緒的にはならない。
感情移入を拒否する醒めた冷静さに満ちてはいるが、それぞれの場面のイメージは強い。生身と影と映像との饗宴だが、乾いた映像とリズム中心の無機的な音楽によって、猥雑さがそのまま現れることはない。それでも猥雑さまでを感じさせる。
レニ・バッソは、舞台いっぱいダイナミックに走り回る「bittersidewinder」(1999年3月、東京グローブ座)を観ているが、この「フィンクス」はその構成と表現の組み合わせにおいて大きく幅を広げたと思った。
満席だった。