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《2004.7月−1》

老女優たちの個性と魅力、薄い
【この子たちの夏 (地人会)】

構成・演出:木村光一
1日(木) 19:00〜20:40 少年科学文化会館大ホール 2500円


 事実の重さを素直に表現しようとした舞台だ。そのために、演出したと見せないというのが演出だ。
 そのせいもあってか、ずいぶん昔から見ている女優さんたちは、なぜか精彩を欠くように見えた。朗読としての迫力はいま一歩だった。

 広島と長崎の原爆で被爆した子どもたちについての思いを、残された文から構成したもの。広島の中学校の被爆および長崎の女学校の工場動員における被爆について、その日のまわりの状況までうかがわせ、そのことによって人物の個性とその経験を具体的にイメージを強めている。
 ただ内容については徹底的に事実をもって語らせる素材重視で、表現については情緒を排し盛り上がることを拒否する。語る女優も素材への肉薄重視で、その個性が強調されることはない。

 語られているのは重すぎるほどに重い現実だ。生き残った人が見た、死んだ人と生き残った人の残酷な現実だ。
 そのような生き残った人の経験や見聞は重要だが、一言も発することなく瞬時に死んでいった人々の壮絶な経験は、決して語られることはない。そういう人々から、原爆病を抱え死の恐怖に耐えながら戦後を生きてきた人々まで、被爆した人々を襲った恐怖や悲しみの総量はいかばかりか。やり場のないいらだちに呑みこまれる。

 表現が素材への肉薄重視でシンプルなのはいいとしても、朗読する女優たちが生き生きしておらず魅力がないのが気になった。
 素材にこだわりすぎていてあえて弱い表現にしているようにも見えるが、いかにも枯れていてみずみずしさに欠ける。キラッと光らない。かっての渡辺美佐子や中村たつの演技からは考えられないような演技だし、松下砂稚子の単調な演技など、舞台を平板にしている。

 そのような女優の魅力が表れていないことについては、終演後の交流会に私服で現われた女優のほうが圧倒的に魅力的だったことで、さらにわかった。
 その交流会では被爆者のかたが発言されその経験を語られた。静かな語り口ではあったが、経験者ならではの迫力があった。

 この舞台は福岡では1ステージ。ほぼ満席だった。


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