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《2004.10月−5》

レプリカに見えてしまうんだけど・・・
【アンティゴネ (ク・ナウカ)】

作:ソポクレス 演出:宮城聰
3日(日) 14:05〜15:30 北九州芸術劇場・中劇場 4000円


 大事なシーンをうまく強調した、正面から取り組んだ上演で、戯曲の構造に肉薄しようとする姿勢が清新な舞台を作っていた。情念の表出を抑えたこのような舞台は、ク・ナウカとしては珍しいのではないだろうか。
 ただ、その情念の表現も含めて気になるところも多く、全面的に感動!というわけにはいかなかった。

 オイディプスの死後、王の座を争ったオイディプスの息子ふたりはともに相果て、クレオンが王位に就いた。王は、争った息子のうち敵軍に身を投じたポリュネイケスの亡骸を野にうち捨て弔うものは死罪にするとふれを出した。
 兄弟の妹・アンティゴネはポリュネイケスの亡骸を自ら弔い、クレオンと激しく対立することになる。

 ギリシア悲劇は、機動性の高い重戦車のようなものだ。
 その内容は重く激しい。それでいて、人物のセリフやコロスのことばで一瞬にして大きく状況を変える。その密度の高さを思うと、蜷川幸雄や鈴木忠志の成功した作品でもレプリカ臭が残る。この舞台もその重戦車のような戯曲にふりまわされていて、戯曲の正面突破・全面提示はなかなかできず、レプリカ臭を払拭できていなかった。

 冒頭のアンティゴネとその妹・イスメネとの会話において、イスメネを9人の女優が演じてその普通さを強調することで、アンティゴネがオイディプスと同様に死を内包する愛(エロース)に生きるものであることを印象づけるという演出はおもしろく、効果を上げている。その女優たちは出番が済むと舞台奥にある楽器まで行って、最後まで楽器演奏を担当する。
 クレオンの部下たちは、はじめはほとんどクレオンと一心同体。全員でハモっているというセリフまわしでそれを表す。部下が離れていくにつれ、部下のセリフもクレオンと対峙していく。
 ポリュネイケスへのクレオンの仕打ちは、国家の立場から考えれば当然ともいえる。それを突き崩すのが、死を内包し神の手が働いたアンティゴネの愛。それを貫くことはオイディプスの娘としての運命で、死こそ栄誉というほどの強さ(=中途半端な生の拒否)もそこから出てきている。

 美加理のアンティゴネは、その強い決意を秘めた様をクリスタルのような清冽さで演じる。アンティゴネは自分を深く掘り下げるだけで終始変化はしないことを、クレオンとのやり取りできっちりと示す。クレオンのもとを引き下がるとき、将棋盤の線のように床に貼られた白いテープを引き剥がす。
 アンティゴネの愛がクレオンの掟を突き崩し、クレオンを悲劇が襲う。そこでの大きく揺れ動くクレオンの心の表現は不十分で、クレオンがアンティゴネを赦免することで却ってアンティゴネを生ける屍としてしまうという悲劇までは表現できていない。このあたり機動力不足で、戯曲の持つ重さにも速さにも追随できないでいる。レプリカと感じる理由だ。
 ラストは、全員で葬列。女性は頭に太いロウソクを立て、全員が黒枠に黒リボンをかけた自分の写真を胸に抱えている。この鈴木忠志ばりに飛躍した演出をどうみればいいかわからなかった。不自然で、盛り上がって終わるためのヤケクソの演出と見えたが、思いついたからやればいいというものではない。こんなところで全体の印象をぶっ壊されたのではたまらない。

 この舞台はきのうときょうで2ステージ。かなり空席があった。


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