ラストの15分は見せる。「孤独」と「死」を正面から見つめている。
ただ、全体構成には工夫の余地がありそうだ。
小学校以来18年ぶりに、友だちの結婚式で顔をあわせた4人。
ただ、結婚披露宴に出ないつもりの朝田は、なにか重大な思いを抱えている。それを他の者も気づいていて、朝田のトラウマを解消するべく、過去に遡っていく。
におわせながら引っぱってきたものを、ラスト15分で一気に噴出させる。
小学6年生のとき。全面的に朝田に頼っている近藤に、朝田は冷たくした。そのために、近藤は自殺した。耐え切れない思いが朝田の心を壊さないように、その事実を白い本に封じ込めた。18年経った今、皆は封じ込められていた事実を朝田に開示する。朝田はそれと向き合い受け容れて、生きる意欲をとり戻す。
朝田が事実向き合うシーンで、縊死している姿の近藤を舞台に登場させる。その近藤がしゃべるのには若干の違和感はあるが、そのような姿の近藤を舞台に出すことで、事実の重みとその衝撃が顕われる。
そういえば、こんな強烈なシーンは、福岡の劇団の舞台ではほとんど見たことがない。「死」をきちんと扱っているということでは、福岡の劇団による舞台の中では特筆すべき舞台だ。
ただ、全体構成がイビツで、途中があまりおもしろくない。
ラスト15分に集約されすぎていて、伏線がやや弱く、間延びした印象でかなりたいくつだ。ラスト近くまでの長い時間がけっこう空費されている。朝田が乗り越えるものが、もう少し早くもう少し具体的に提示されてもいい。
俳優たちは、みな生き生きとしながら安定感もあり、なかなかいい。安心して見ていられる。
そのなかでも、微妙なところをうまく表現した朝田の広瀬健太郎と、「孤独」を感じさせた近藤の松崎哲朗が見せた。
この舞台は、1997年6月から活動休止していたP.T.STAGE DOORの活動再開第一作。この脚本の初演は1992年11月で、1995年3月に再演されているという。このようなちゃんとした舞台を作れる劇団の活動再開を喜び、新作に期待したい。
この舞台はきょうとあすで3ステージ。満席だった。