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《2005.7月−9》

田坂哲郎への評価を、変えることにする
【セクシイ (濱崎留衣ひとり芝居)】

作・演出:田坂哲郎
16日(土) 14:05〜15:05 青年センター3階会議室 500円


 脚本・演出にオリジナリティがなく、濱崎留衣のほとんど何も引き出されていない。
 ちょっとしたアイディアをチョコチョコと積み上げても、一本の芝居は生まれない。

 「セクシイ」というひとり芝居をするために劇場に駆けつけてきた濱崎留衣。
 血のついた包丁を持っていて、同棲していた「男」の目をくり抜いてきたという。本編上演前の前説で、その「男」の話とよけいな話が延々と続き、「セクシイ」本編は上演されないという趣向。

 チラシに「ハマサキの裏、見せます」とあるが、パンフには「(濱崎留衣について)何の予備知識もないまま、僕は本を書き上げ」とある。なんでアテガキしないのかわからないし、初稿がそうでないにしろ、濱崎にすり合わせるべく大幅な書き直しが当然だろうが、できあがったものからみて書き直された形跡は薄い。
 「諸注意」からすでに舞台が始まっているという趣向はおもしろいが、おもしろいのはそこだけ。あとはトロトロとどうでもいい話が繰り出されるだけ。肩すかしを食わせてもいいが、その肩すかしが貧相すぎる。「男」とのことがこうも通り一遍で具体的なイメージがないんじゃ、どういう状況も作り出せない。空回りで緊張はなく、「セクシイ」の「セ」の字もない。映像も、内輪のつまらん話などを延々と流して時間稼ぎをやられたんじゃ、たまったものではない。

 そんなふうで、濱崎留衣が濱崎留衣自身のまわりをウロウロしているという印象しかない。
 田坂哲郎にはリアルな状況という認識がなく、リアルなセリフを書けないということがよくわかった。ひとり芝居の難しさへの認識もなかったようだ。
 逃げ一辺倒の脚本・演出の、甘さ、懐の浅さをモロに出てしまったこんな習作を舞台にかけるとは。そこに驕りを見てしまった。だから今後わたしのなかでは、田坂哲郎への評価を変えることにする。

 これが2本目の濱崎留衣のひとり芝居だが、2本とも空振り。すこしは濱崎留衣に肉薄して、ファウルでもいいから打ち返してほしいものだ。

 この舞台はきょう3ステージ。1回目のステージを観た。かなり空席があった。


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