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《2010.10月−7》

何でよけいなことばかりするのか
【雷神の足 (池田商会)】

作・演出:瀧本雄壱
16日(土) 19:10〜21:50 ぽんプラザホール 1500円


 よけいなことをやり過ぎている。
 せっかく築き上げた舞台を、なんでわざわざ軽んじ傷つけ貶めて、舞台の品位を下げるような演出をするのか。
 そんなもの、異化効果とは似ても似つかぬ、観客を甘く見て軽んじおもねる、その演劇センスの悪さが舞台の質を大幅に引き下げている。

 毛利軍の攻撃を受ける、博多を守る大友軍の武将・戸次伯耆守鑑連。しかし、足が動かなくなってしまった。
 その鑑連の足にするべく戦神輿を作り、山笠の舁き手に担がせようとする。

 せっかくの熱を込めたスケールの大きい舞台なのに、なぜその舞台を貶めるようなくだらないことをするのかわからない。
 ことばで説明しすぎるし、観客をひきつけようとしてやるクスグリが、多すぎる上にレベルが低すぎるのだ。観ていて白ける。

 ほんとに、ツッコミどころは山ほどある。
 開幕からすぐのシーンで、鑑連はなんで炎の上であぶられているのか。博多の町は、田舎の集落のような長老支配かよ。
 何で鑑連には侍女一人しか従者がいないのか。何千人の軍を動かすのに軍師もおらず軍議もないのか。
 町人が堂々と武士の大将と渡り合うのか。鑑連の家臣がなぜ戦みこしを担ぐのか、ほかにやることないのか。
 女3人が深夜に多々良川から櫛田神社まで行くのかよ。町人も武士もなんで英語からきた単語を話すのか。等々等々。

 最初から時代劇に見立てた現代劇だということか。だったら何でも許されるのか。
 ここでは政治や経済についての歴史的な視点は捨象されている。というよりも、そこまでの視点を持ち得ないということだろう。
 歴史活劇を作るからには、歴史をもっと押さえた上で、その不自由さの中からドラマを見つけるべきだ。であれば、もっとリアリティあるドラマになる。
 人と人との信頼の絆を描いていても、生きるか死ぬかの権謀術数はあんなものではあるまい。そこを現代の貧しい視点で拾い上げても、当時の状況は伝わるはずはない。

 それでも、基本的なストーリーとしては了とし、そこでの人々の思いも了としよう。
 なのに、そこをぶち壊すような幼稚なデコレーションにはウンザリする。よけいなことを言わなきゃいい、よけいなことをしなければいい。
 説明が多すぎる。心情や他人の言うことまで解説してしまう。くどいし、常時ガス抜きしていて溜まらない。みなまで言うな、だ。

 この舞台は14日から17日まで5ステージ。満席だった。


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