大槻オサムの身体表現と、谷本仰のバイオリンとのコラボで、「闇」「身体」「光」の3つのパートに分かれる。
明らかなテーマ性をもって、言葉と身体と音で、納まりをつけずに生々しく表現した。舞台は暗いけれど、力に満ちた暗さだ。見応えがあるステージだった。
「闇」は、職場の事故で全身やけどを負った男の、生と死の境をさまよい、死の「闇」を覗きこむような独白。
規則どおりにやったのに起こった男の事故の話は、チェルノブリニの原発事故と二重写しにされ、さらに広島の原爆のイメージと繋がる。
男が幻視する白いものが、天使か幽霊かというところでは、生と死を行き来する男の心情をみごとに表す。
「身体」は、「身」の象形文字の起源である「孕んだ女」から、赤子の誕生を通して、「生」の賛歌を謳いあげる。
「光」は、チェルノブリニの「森」の妖精と、チェルノブリニでコンクリート詰めされた人間(のお面)との会話。
人はどこに行くのかという、5億年後を見すえての問いかけは、「じゅんぐりと閉じていく」という地球賛歌ともいうべきことと、「再生」が語られる。
谷本仰のバイオリンは、独自性を主張せずに、大槻オサムの身体表現を助けて多彩にすることに集中している。
その演奏は、バイオリン演奏の常識的な枠を超えて、打楽器はむろん、管楽器とも聴こえるような音を多彩に繰り出す。
聴かせどころは衣装替えの時間。ここでは思い切り弾く谷本仰のバイオリンの魅力がよくわかる。
言葉も身体表現も直裁で朴訥で、その分切れと深みに欠けるところはあるが、強いテーマをやさしい暖かい叙情で包んでいて、その印象は強い。
開演に遅れて始めの10分ほどを観られなかった。
この舞台は、海峡演劇祭の一公演で、きょうとあすで3ステージ。50人くらいの客席はほぼ満席だった。