祖父と父との生き様を再構成した一人芝居は、対象を突き放したアレンジが瑞々しい舞台。
突き放して対象として眺めたことで、舞台は斬新になり、祖父と父へのいろいろな思いが伝わってくる。
正面にドア、その左右にイス。それを、半円形に紙くずが囲む。手の届く高さに吊るされた8つのかごには、紙くずが入っている。
ほうきで紙くずを掃くと、落ちたせんたく物のTシャツがいくつも。それを張られた紐に吊るす。
左側のイスにほうきを立てて、それにメガネをかけて、それが父。右側のイスには、帽子と厚手のタオルケットがあって、それが祖父。
笹木真之はノッポで、茫洋とした雰囲気。
しかし、演じ始めるとその雰囲気が一変する。顔も身体も、その表情は幅広い。きびしいシーンでのキリッと締まった顔はなかなかいい。
特筆すべきは、言葉の繊細さ。例えば、幾度も出てくる隣のおばあさんの目覚まし時計の音のこと。その音への反応が、反応する人の個性をみごとに表す。
そのような印象に残るシーンが、切り紙のように一見ランダムに組み合わされて、この舞台は作られている。観る者の想像力が要求される。
秋田から函館に移って、さらに広島に来た祖父。その祖父と、どこかうまくいかない父。
このふたりを表現することで家族の歴史が語られるのだが、話は時空を跳びはねていて、スッキリとわかるようにはまとめられていない。
編年的に具体的にというのではなくて、時間も場所も演じる対象も常時入れ替わる。本人役も混じるから、今がいつでどこで誰がしゃべっているのかなかなかわからない。
話に登場するどもりの「ヨシダヨシヒロ」が何者なのかわからないけど、彼を語る人のことがわかる。しかし彼を語る人は祖父だよね、というようなあいまいさ。
でも、そういう表現もあり、として、わからないなりになんとなく納得してしまう。
ぼんやりと感じさせることで、観る者の想像力を引き出すけれど、くっきりと像を結ぶわけではない。でも、それでもいい―という感じ。
グルグルと対象のまわりを廻ることで、全体のイメージがじわっと浮かび上がるという、そんな舞台だ。
だが、その表現は硬質だ。突き抜けたようにいさぎよさでインパクトがあり、ギラギラしたものがグリグリと迫ってくるという感触さえある。
この舞台は、海峡演劇祭の一公演で、きょうとあすで2ステージ。20人ほどの観客だった。