戯曲のテンポを必死でフォローするという方向は間違いではないが、そこまでで終わってしまっている。
大学演劇が、オリジナルならまだしも既存戯曲を上演するのなら、そこで終わっていてはいけない。
アイドルとしてのデビューのチャンスを生放送中の鼻血てアクシデントで失った矢衾愛弓。マネージャー・一本槍官兵衛の制止を振り切って、アイドル潰し番組「電ガル」への出演を決意する。
矢衾愛弓は、アイドル潰しの「電ガル」プロデューサー・太刀花鞘花の罠をクリアすることができるか。
黒のTシャツとトレパンの4人の女性が、何もない裸舞台で、1時間強の舞台をいちおうはジェットコースターのように駆け抜ける。
饒舌なセリフをそのセリフのテンポに前のめりになりながらもどうにかついていって、何とか形にしようとする。
その姿勢はいいとしても、そこだけに注意がいってしまって、こじんまりしてしまい、この戯曲の持つ魅力を引き出しきれてはいない。
いろんなパターンの作品を書くことができる中屋敷法仁だが、この戯曲では、一寸見にはほとんどハチャメチャに見せかけながら、実は全体が非常に知的に構成されている。
その知的構成とは、サブリミナルのように、あるいは隠れたものが露呈するように、あるいは突然抽象的なものが顕われるような、そんな仕掛けをキッチリとめぐらせていること。
大学演劇となれば、そこまでやり切れているかどうかが判定基準となるが、残念ながら知的部分についていけておらず、不合格だ。
演出も演技も、スピードだけしか意識していない。だから、全体として非常に単調になってしまった。
スピードだけでそれなりの充実感があるのはわかるが、そこに満足してしまっていた。
この舞台は、3月11日に初演された福岡大学学術文化部会演劇部07台 卒業公演の再演で「芝居で日本ぶっ生き返す公演」と銘打たれていて、きょう1ステージ。ほぼ満席だった。