期待はずれの舞台だった。
九州の俳優を主体にしたキャストは、その技量がバラバラで、その多くが江本純子の脚本を演じられるレベルに達していない。
江本マインドの共有化もできていないから、統一感のない雑駁な舞台になってしまっていて、インパクトは非常に弱かった。
工場の一日を描く。パートと派遣が入り混じって、かなりひん曲がった個性をぶつけ合う。
脚本は、あまりいいとはいえない。
メンバーのひん曲がった個性を集団の中で際立たせて、その奇形ぶりをあぶり出すという趣旨だとみた。
展開が弱いのは、ストーリーで見せることを狙っていないから、やむを得ないかもしれない。ただ、エピソードが清水アキラネタなどとかなり薄いうえに、エピソードの連携も弱すぎる。
演出は、鍛えて組み立てあげることをせずに、平板に流した。キャスト・スタッフに任せすぎだ。
演出によって俳優の演技は大きく変わる。だが、この舞台ではいい方向に変わったという形跡が見えない。
江本マインドの表現のためには、超えなければならない最低限のハードルがあるはずだが、俳優の技量がそのレベルに達しないままに放置されている。そこをどうやっていくかが演出の仕事だろう。
演技は、演出の弱さともあいまって、人物の個性をほとんど表現できていない。
露わになる個性を表現するためには、演技としてある一線を越えなければならないが、そのような演技ができていない。
自分の役の個性と思いとに考えが及ばず、表現する技術も弱くて、存在感のあるところまで踏み固められていないから、越えるべき一線に跳ぼうとしても届かない。
そのように個性の表現が弱いため、役どうしが深いところで繋がらない。だから、エピソードがうまく立ち上がらない。役の個性がヒステリックにひしめいて一触即発!という緊張感など、とても生まれない。
どこかすきま風が吹き抜けるような舞台に、イライラが募った。
江本マインドが俳優に沁みこむのには、2週間のケイコでは短かすぎたということか。
稽古期間が短いのは好ましいことではないが、それをカバーするために、ギリギリまでねばって作品をを練り上げようという執念は感じられなかった。それがあれば別の緊張感が生まれたかもしれない。
この舞台はきょうとあすで2ステージ。少し空席があった。