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《2012.6月−6》

センスいいが、イキウメらしい力強さに欠ける
【ミッション (イキウメ)】

作:前川知大 演出:小川絵梨子
10日(日) 14:05 〜 16:10 西鉄ホール 4,400円


 センスいい舞台だが、イキウメらしい力強さに欠けるのが物足りない。
 それのような前川知大らしさが弱まったのは、この舞台の脚本がワーク・イン・プログレスで作られているためだろう。

 優秀な会社員・神山清巳は、自宅の裏の斜面から落ちてきた石を頭部に受けて入院。10日後に退院して復帰するも、進行中の企画チームを外されていた。
 清巳は、専業主夫の叔父・怜司がやっている「世界のバランスを取る重要な使命」に惹かれ、怜司に近づいていく。

 ポイントとなるのは、怜司のいう、聞こえてくる「呼びかけ」に応えてやっていく行為であり、それが世界の調和にいい影響を与えて将来の惨禍を防ぐ、という怜司の信念。怜司はホームレスの行動を生き方の手本として実践し、教え子もいる。
 そこに理想を見出そうと近づく清巳を、現実的な父母と兄は引き戻そうとする。あからさまな現実と浮世離れした理想とのせめぎあいが、清巳のまわりの人間関係の変転を通して描かれていく。

 清巳が会社をやめるまで1時間近くもかかる前半は、俳優の動きはテンポよく見えても、説明的で冗長だ。だが後半になると、舞台は急転回していって引き込まれる。
 怜司の世界の中では、ホームレスに乱暴した男を怜司の教え子である大河原が、「呼びかけ」に応えて殺そうとする殺人未遂事件が発生。「呼びかけ」に応えてどこまでやっていいのかという大河原と怜司の激しい論争シーンは、この舞台いちばんの迫力だ。
 だがそのあとがいけない。怜司は、行為に制限をつけていなかったことを自分の間違いだとして大河原に土下座する。ここで一気に怜司の存在がしぼんでしまう。
 そのあとラスト近くに、怜司は大河原の説得に成功するのだが、そのような安易な変転は怜司の世界の薄さをさらに露呈することになる。この怜司の世界の広さ深さとその力を、なぜ自ら否定してしまうのか。

 対立軸のもう一方はどうか。父はただの頑固親父として描かれ、ラスト近くになって軟着陸のための足慣らしのように、父の信念が語られる。
 揺れ動く清巳といえば、優柔不断のあとに見つけた現実と理想の折り合いをつける新しい仕事が、落石を防ぐ実生の杉の植樹というんじゃ、ちょっとガックリ。ご都合主義が過ぎるような気がする。

 このような前川知大作品とも思えない軟弱さは、この舞台が俳優たちと稽古場で台本を立ち上げるワーク・イン・プログレスで作られているためだろう。視点もストーリーも終始一貫せずに、広がりすぎてぼやけてしまって、ドラマの骨格を弱めてしまっている。
 外部演出になったことによって荒々しさが弱まったが、そのセンスのよさは楽しめた。舞台美術のレベルも高い。印象的な楽しめるシーンもかなりある。だが、それらがほんとうに大きくは立ち上がっていかないもどかしさを感じ続けた。

 この舞台は福岡ではきのうときょうで2ステージ。かなり空席があった。


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