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《2012.6月−5》

凝縮された70分を疾走しきった
【THE BEE (NODA・MAP)】

作・演出:野田秀樹
7日(水) 19:05 〜 20:15 北九州芸術劇場 中劇場 7,500円


 重い課題が凝縮された70分を疾走しきるという出色の舞台だった。

 平凡なビジネスマン・井戸が、留守中に家族を脱獄犯に人質にとられてしまう。
 井戸は、その事件で警察とマスメディアに対処していくうちに激昂。ついには自らが犯罪者になっていく。

 たくさんのおもしろさが凝縮されて横溢していて、そんな舞台の目もくらむような疾走感で見せる。野田秀樹らしいみごとな見せ方だ。
 内容に呼応してその表現も、気持ちよく感動させることを目的にしていない。そんな感情移入を避ける表現に工夫を重ね、野田らしい冴えに満ちた圧倒的な仕掛けで、多彩な表現を実現している。

 井戸の家に立て籠もる脱獄犯・小古呂と、小古呂の妻の家に立て籠もる井戸は、それぞれにピストルを持ち、互いの妻と子どもを人質としている。そんなシンメトリーの双方が、ときに同じ空間で演じられる。
 大きな茶色い紙が天井から吊るされていて、それが家で、その紙はいろいろに使われる。この装置の現実感の薄さが、俳優の身体性を浮き出させる。
 4人の俳優で個性的ないくつもの役を演じ分けるが、その切替えもものすごく手際がいい。小物の使い方も絶妙だ。
 小古呂役の近藤良平の身体性の高さは当然としても、野田秀樹が180度開脚や蜂のダンスなどの壮絶ともいえるパフォーマンスをさりげなく見せる。

 井戸と小古呂は互いの妻を犯し、互いの子どもの指を折り、さらにはそれを切って互いに送りつける。さらには互いの妻の指を切り互いに送りつける。子どもも妻も死んでしまう。
 そんな阿鼻叫喚は、どちらかというとさらりと描かれる。指代わりの鉛筆がポキポキと折られ、包丁でパツンと切られる。妻を犯すシーンでは、パンと軽いピストル音で射精を表す。サバサバしていて取りつく島がなく、呆然としかしどこか冷めた眼でそんな舞台を見つめることになる。
 感情を刺激するような大きく膨らます表現は避けられ、乾いた表現で徹底的に凝縮していこうという姿勢だ。その結果、甘さが消えた舞台のテイストは野田作品らしくない厳しさに満たされる。不条理な暴力のどうしようもないやるせなさに覆われて、持って行き場のない苛立ちに襲われる。
 だがそれと同時に、完全にはそこにのめりこませないような醒めた視点もまたあって、苛立ちを感じている自分を見つめている自分を意識させてくれもする。

 そんなふうに、2007年に初演されて高い評価を受けた舞台のすごさを見せつける。
 述べたような舞台上の工夫はたくさんなされていて、それが効果を上げてはいる。しかし、それらは原作が成し遂げているものの上に築かれたものだ。
 原作の筒井康隆「毟りあい」は、読んでいて息が詰まりそうになるほどにすさまじい。野田は、その原作を換骨奪胎することなく忠実に戯曲化していて、戯曲の独自性・独立性は低い。この舞台の80%は筒井康隆に因っている。
 異常な状態の「日常化」に野田らしい視点が見られるものの、それは凝縮度を弱めてもいる。野田の言う「報復の連鎖」はこの作品の本筋ではない。そのことは、最後には井戸が自分の指を切りだしたことからもわかる。「報復の連鎖」は、宣伝文句だと考えたほうがいい。
 題名にもなった「蜂」の使い方についても、分りやすさ優先で肝腎のパワーを弱めてしまったように見えた。

 この舞台は北九州では7日から10日まで5ステージ。満席だった。


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