西鉄ホールの広さをもてあまして萎縮してしまったところはあるにしろ、2劇団ともに、演出にも演技にも脆弱さをさらけ出してしまったという舞台だった。
福岡演劇フェスティバル公募枠作品で、ゼロソーと第七インターチェンジの合同公演だ。「曾根崎心中」と「品川心中」の心中対決というわけだが、対決というほど絡んだり対比したりということはなく、同一会場の中に2つの舞台を作ってシリーズで上演するんじゃ工夫がなさ過ぎるただのオムニバスで、拍子抜けだ。
○曾根崎心中(ゼロソー 原作:近松門左衛門 構成・演出:河野ミチユキ)
平土間状態のホールの半分以上を使い、奥から2メートる幅の台が15メートルも突き出し、その台の手前半分を三方から100席ほどの客席が囲む。 舞台がとにかくヒョロ長すぎるのだ。だから、人物どうしの会話も距離があきすぎて不自然になる。
そういう状況で会話を成り立たせるのならば、しゃべり方をそれに合うように変えなければならないのに、何の工夫もなくてセリフが届かない。浄瑠璃のリズムのある詞章を考えなくしゃべって、情感をだすどころか意味さえもうまく伝わらなくしている。
それぞれの場面の状況とそれが変わる原因とを、脚本も演出も演技もちゃんとメリハリをつけてキチンとやるべきだが、何とも不鮮明。現代と絡めた脚本の見直しは、1時間ほどのこの舞台ではわかりにくくするだけで、逆効果でしかない。
この劇団らしいキレのよさも、どっかに吹っ飛んでしまっていた。上演時間65分。
○品川心中(第七インターチェンジ 演出:亀井純太郎)
「品川心中」は、品川の遊郭を舞台にした落語噺。前半は女郎と客の心中がテーマとなっていて、後半は自分を騙した女郎に客が仕返しを目論むという展開になる。 この「品川人中」の舞台は、「曾根崎心中」の舞台とは別にホールの一角に作られていて、観客は全員そこに移動する。おもしろいという感じはなくて、正直、なんじゃいな、という感じだ。
真ん中に1.5メートル四方の台があって、そのまわりを3方、幅50センチほどの台が囲む。中央の台とまわりの台の間には人が隠れるくらいの空間がある。観客席はその舞台のまわりを3方から囲む。
出演は女優5人。地の語りを担当する女優以外は厚い画用紙の束を抱えて出てくる。
舞台は落語の後半部分から上演する。女優たちは役のセリフをしゃべりながら、セリフを書いた画用紙を1秒に1枚以上のスピードで投げていく。たちまち舞台は画用紙だらけになってしまう。落語を口まねしている女優たちのしゃべりは平板だが、セリフを書いた画用紙を投げるという演出はおもしろくて見せる。
舞台の後半は落語の前半部分だが、ここは演出もなく女優たちのしゃべりだけで、噺を知っているのにほとんどイメージできない。それほどに平板。ほとんど寝ていた。
口先だけ落語のしゃべりをまねても、伝わってくるものはきわめて希薄だ。演出も含めてそういう認識はなくてまねでも伝わると考えているようで、伝えるための工夫も放擲されている。落語を題材にしながら、落語のしゃべりについて考えた形跡がない。問題意識がなさすぎはしないか。
オリジナル脚本でもないのに、こんなレベルのことやっていてもしかたない。上演時間55分。
そんなふうで、“つまらない”対決をされても困る。ちゃんと練り上げてくれ、という公演だった。 この公演はきょう2ステージ。満席だった。