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《2013.11月−1

共作の弊害が出たか
【貧乏なひさし君はいかにして自己実現をなしえたか。 (小耳プロジェクト)】

作・演出:下松かつと&小耳族
3日(日)18:30〜19:50 箱崎水族館喫茶室 招待


 内容にボリュームがなく表現にもキレがなくて、平板でかなりたいくつな舞台だった。共作の弊害が出たかな。

 父親の会社が倒産して失踪したため高校中退した木下ひさしは、自己実現を目指して、ブラック企業に入ったり自衛隊に入ったりする。

 舞台は、奥に薄い白幕があって、上手と下手に衝立があり、手前にボックスが6個。衝立とボックスは白布で覆われていて、白基調の舞台だ。
 話は7つのエピソードに分かれていて、最初と最後を下松かつとが書き、あいだの5つのエピソードは参加者が木下ひさしへの想像を膨らませたものを選別して削ぎ落としたものだという。各エピソードは次のようになる(〔〕内は作者)。
 <1>小学校〔下松かつと〕 <2>中学校〔日向和枝〕 <3>高校〔谷岡紗智〕 <4>高校中退〔鹿児島陽子〕 <5>ブラック企業〔谷岡紗智〕 <6>自衛隊〔谷岡紗智〕 <7>自己実現〔下松かつと〕

 各エピソードは類型的で突込みが弱く、エピソード間の絡みも弱くてただの羅列になっている。
 まず、前説で木下ひさし役の鹿児島寿が登場して、開演時間に再び素のままで登場して、そのまま舞台が始まるという緩すぎる開幕に違和感があった。
 <1>での箱水小学校校歌は聴かせるが、あとは状況説明だけ。 <2>の柔道部、<3>のカレー屋の話も単発で、人物だけでかろうじて繋ぐ。 <4>での父との再会と父vs母とのバトルは少し見せる。 <5>のブラック企業と<6>の自衛隊は、ありきたりの内容を新鮮味のない描き方で描いていて、心の中での対話者である「白い人」たちとの対話も常套的だ。<5>では手品人形「ピエロのジョニーくん」の映像を長々と見せる。<6>は「自衛隊に入るの、そんなに簡単じゃないだろ!」と突っ込みを入れたくなる。皮相的に過ぎる。 <7>では、こんな社会への「復讐」こそが自己実現だということのようだけど、何であんな結末になるのか理解できない。

 戯曲は共作の甘さが出てしまったか統一性に乏しいために、演技のラフさとも相俟って何とも散漫な印象の舞台になってしまっていた。足元がふらついている印象で、戯曲も演出も演技も、もっときちんと踏み固める必要がある。でないと跳び上がれない。象徴的なところを狙ったシーンでみごとに滑っているのはこのためだ。
 下松かつと演出らしいエグさがほとんどないのも不満だった。俳優の絶叫調のセリフが「絶叫」になっていない。セリフの軽さもさることながらしゃべりも軽すぎて、いくら大声を出しても届くことなく雲散霧消してしまう。

 この舞台はきのうときょうで3ステージ。少し空席があった。


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