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《2014.7月−1》

囚われない、秀逸な舞台
【ハムレット (KUNIO)】

作:ウィリアム・シェイクスピア 演出:杉原邦生
5日(土)13:05〜15:40 京都芸術センター講堂 3,500円


 エネルギッシュにハイテンポに駆け抜け、「ハムレット」が「悲劇」であるということをちゃんとわからせてくれる秀逸な舞台だ。たくさんの「ハムレット」を観てきたがそのなかでも、日本人による舞台化としては最高の舞台だ。

 デンマーク王の死後時をおかずその弟クローディアスは、兄の妃であったガートルードと結婚し即位する。母と叔父との結婚を受け入れることができない先王の息子ハムレットに先王の亡霊が現れて、自分が弟クローディアスに毒殺されたことを明かして、復讐するようにハムレットに要求する。

 京都芸術センターの講堂に、かなりの急斜面を客席方向に向けた大きな黒い舞台が作られている。舞台上方には、大きな文字で「THEATER」と書かれた白く光る電光掲示盤が吊り下げられている。
 俳優たちは舞台後方の高いところから登場して、急斜面に逆らいながら演技して、高いところへと退場していく。途中で幾度も開演ブザーが鳴らされる。ラスト近くでは電光掲示板が舞台まで降りてきて、白色からいろんな色に変わる。そんな風に徹頭徹尾、これはお芝居なんだ、ということをアピールしつづける。

 「ハムレット」の戯曲にはQ1、Q2、F1という3つの異なる印刷原本があって、Q1が1603年の刊行で約2150行、Q2は1604年-1605年の刊行で約3700行で、F1は1623年の刊行でQ2に少し加除して改訂したもの。一般に上演されるQ2やF1の上演では、英語での上演でも長時間かかるのに、翻訳された日本語ではさらに時間がかかり、そのために戯曲を刈り込んで上演されることが多い。勢いよく走り抜けてこそこの戯曲の魅力が引き出せると喝破して、それを俳優の演技でカバーしようとした演出家もかっていたことはいたが、前半モタモタして後半あせりまくるという形の上演が圧倒的に多かった。だから悲劇性が際立たない。
 今回の上演で杉原邦生は、Q1を基に新たに構成された新訳上演台本を使った。Q2の原形といわれるQ1のボリュームはQ2のほぼ6割。Q1を使うのは、勝手にQ2を切り刻むよりはるかに合理的だ。たしかに狙った疾走感はこの舞台に顕れていた。

 簡潔でこなれたセリフと、リフレーンやスローモーションなどなど場面の意図をうまく強調する多彩な演出で、劇中劇を含め各場面はクッキリとしテンポよく進んでいき、観ていて楽しい。ハムレットは行動的で、悩むために悩むようなところはほとんどない。それでも前半には、若干澱んだような場面もわずかに見受けられた。
 舞台が3分の2も進んだころ、大きな音でブザーが鳴って、電光掲示板が舞台中央に降りてきた。そこから、王の決心によって事態は転げ落ちるように悲劇に向かって急展開していく。そんなデンマークの状況を、領土奪還を狙うノルウェーの王子フォーティンブラスが見つめる。陰謀に間違い・手違いが加わって、主だった者がみんな死んでいく舞台はハイテンポだ。そして、舞台に4つ5つの死体が転がって悲劇性はいやが上にも増す。ラスト、「WAR H」と大きく染め抜いた大きな旗を持って、フォーティンブラスが後方中央から降りてくる。

 ハムレット役の木之瀬雅貴は、京都芸術大学舞台芸術学科在学中の学生。小柄で見るからにナイーブで、じわじわと存在感を増してくるがナイーブさは失われない。ガートルードの内田淳子、オフィーリアの熊川ふみは、みごとにはまっている。クローディアスの鍛治直人とポローニアスの菊沢将憲は2人とも、役柄に合いすぎていて却って俳優の魅力が出ていない。役を交替してプレッシャーをかけたほうがおもしろいだろう。レアティーズの後藤剛範はレアティーズの印象から外れているように見えた。
 「ハムレット」はいろいろ論じられすぎていて、そのことに足をすくわれている上演は多い。この上演はいろんな情報をいったんリセットして、戯曲のおもしろさを素直に引き出そうとしていて、成功している。2013年より継続してワークショップを重ね、約1年間のクリエーション期間を経て練り上げてきたという成果が顕れている。
 この舞台は京都では3日から7日まで5ステージ。あと、豊橋、札幌、東京公演がある。
 終演後、杉原邦生と京都学生演劇祭メンバー4人によるアフタートークを聴いて、いろいろ参考になった。感想を一言だが言わせてもらった。


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