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《2014.10月−4》

スーパー能に、若干の違和感
【梅若会演能会2014 スーパー能「世阿弥」 (九州梅若会)】


12日(日)13:00〜16:20 大濠公園能楽堂 7,000円


 観たかったスーパー能「世阿弥」を梅若会演能会2014でようやく観ることができた。いろいろ感じさせてくれたのはよかったが、内容的にも表現的にも若干違和感が残った。

○仕舞「田村」「班女」「天鼓」
 80代の宮田嘉之、70代の本土靖久、60代の川副憲一による仕舞は、キビキビした重厚な舞と朗々とした謡で舞台に威厳と風格があった。上演時間12分。

○能「杜若 作物出 恋之舞」
 三河国八橋の杜若に見とれていた僧のところに、在原業平の冠と二条の后の衣を身につけた女が現れる。女は自分が杜若の精であると明かし、業平は歌舞の菩薩の生まれ変わりだとして、「伊勢物語」の恋物語の数々を舞う。スーパー能「世阿弥」にも登場する金春禅竹の作とされる。小書「恋之舞」では前半部分が省略されて、業平の冠と二条の后の衣を身につけた杜若の精が作り物の中から登場する。
 作り物から覆いがとられてシテが姿を現すまでが10分。シテが作り物から外に踏み出すまでがさらに10分。そのあと若干の地謡との掛け合いがあってから、序の舞が10分。序の舞のあとシテは橋掛に行って、座って橋掛につかまって水面に映る影を見る。
 そんなふうにほとんどシテ(鷹尾祥史)の一人舞台という曲だ。気品のある華やかな舞と橋掛での静かな思いとがみごとな対照をなしていた。上演時間約45分。

○狂言「萩大名」(和泉流)
 京から帰郷する田舎大名が、都の名残に宮城野の萩が盛りの庭見物に出かける。庭の亭主が必ず客に和歌を所望するというので、太郎冠者は歌を詠む嗜みのない大名にカンニング法を伝授するのだが・・・。
 野村万緑(大名)、吉住講(太郎冠者)、吉良博靖(亭主)で手堅くみせて笑える。上演時間約25分。

○スーパー能「世阿弥」(作:梅原猛 演出:梅若玄祥)

 スーパー能での現代語が能の基本である8拍子に収まるはずもない。そのところをどのようにしていくのか、ということがいちばんの興味だったが、どこかごまかされたような感じが残った。また内容についても、しっくりいかないところが残ったが、そういうことも含めて興味深い公演だった。
 スーパー能「世阿弥」は、国立能楽堂開場30周年、世阿弥生誕650年を記念して作られた新作能で、梅原猛が書き下ろし梅若玄祥の演出で昨年4月に国立能楽堂で初演された。
その後、世阿弥役の梅若玄祥以外の役を替えての上演が全国で行われている。九州での上演はこの舞台が初めてで、出演者の多くを九州の能楽師が担当している。

 世阿弥・元雅父子は、世阿弥の甥である音阿弥を贔屓にする将軍・足利義教に疎まれて、元雅の命が狙われるほどの窮地に立たされている。支援者・越智は元雅を伊勢にかくまうことになり、元雅は世阿弥と別れて伊勢に行くが、刺客に殺されてしまう。
 殺された元雅の幽霊が世阿弥のもとに現れて、観世が栄えるために父ではなく自分が喜んで犠牲になったことを告げる。世阿弥は息子の思いを受け取り、新たな決意をしたところに、音阿弥と世阿弥の娘婿・禅竹とが来る。世阿弥は2人に元雅の思いを伝え、世阿弥は音阿弥、禅竹の3人で舞を舞う。

 開演前、客席の照明が普段の半分ほどの明るさに落とされる。大きな作り物が運び込まれて地謡の場所に置かれる。地謡は囃子方の後ろに座る。始まるとすぐに作り物の覆いがはずされて、直面の世阿弥と妻が現れる。始まっていくらも経たずに世阿弥の舞がある。
 伊勢に行く元雅との別れまでが前半で、そのあと狂言師の語り手による語りで、世阿弥の例えにチャプリンや先代猿之助の名前が登場する。後半は、元雅が2人の刺客に追われて殺されるシーンから始まる。橋掛から舞台にビュッと矢が飛ぶ。殺された元雅は作り物の陰で幽霊の衣装に着替えて厳しい怨霊面を着け、世阿弥は尉の面を着けて、元雅は世阿弥に自分がなぜ喜んで死を決意したかを語って消える。

 梅原猛による詞章は、遊びがあるのはいいがときに焦点をぼやけさせる。そういう面ではかなり甘い。“です・ます”調もかなりかったるくて、語尾が締まらない。しかしまぁそれはいい。
 いちばんの問題は、描かれた世阿弥があんまりいい加減でまったく感情移入できないことだ。親が生きていたほうが流儀のためだと死んでいく息子の死を、唯々諾々と受け容れてしまう世阿弥のような態度を、いかに外部状況が厳しかったとはいえ普通の親ならば決して取らない。ましてや、敵であるはずの音阿弥といっしょに“明日への能”を舞うなど言語道断だろう。

 8拍子に収まらない現代語の詞章は、演者の力量もあってか思ったほどうまくは伝わってこなかった。特に、前半の説明のための地謡が、たぶん声が揃っていないためだろう、ほとんど聞き取れなかった。地とシテとの絡みもうまくいっているとは言えなかった。現代語の詞章をきちんと聞かせるには高い技量が必要なことをわからせてくれた。
 そうは言っても、いろいろ感じさせ考えさせてくれたところは大きい。観られてよかった。上演時間1時間15分。

この舞台はきょう1回の上演。少し空席があった。


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