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初めから予防線で悪いが、私にとってキャラメルボックスはいちばん感想が書きにくい劇団だ。「ああ楽しかった、面白かった」という感想でほとんど終ってしまい、あと何を書けばいいの?という感じになるからだ。
この「風を継ぐ者」も例外ではない。
舞台はさわやかで、かっこよくて、私もそこから若干の元気をもらって、何の文句もない。けなすことはもちろん何もないが、なぜかほめることもないような気がしてくる。
伊東四郎が自分の芝居でお客に向かって、終ったあと「それで何なの?」と問わないでほしい、と言っていた。「何もないのよ」というわけだ。見ているあいだ面白ければいいというのが伊東四郎の芝居だ。
キャラメルボックスは伊東四郎とはちょっと違うかな、何もないこともないようだ、という気はする。しかし、何があるのかと言われても、なかなか言葉にならない。
俳優の軽快な演技にごまかされてしまいそうだが、けっこう荒唐無稽な設定だ。進歩的な若者が新撰組に入る。これだけで十分荒唐無稽なのに、その若者が新撰組をさわやか集団に変えてしまう。
こういうことがあったら面白いだろうなという願望に、若干のリアリティを持たせ、強引な筋立てをそうはみえないようテンポで運んでしまう。それがキャラメルボックスの芝居だ。
観るほうはごく当たり前と思ってみているそのさわやかさ、軽快さだが、戯曲、俳優はむろん、衣装、音響、装置、照明まで練り上げられていないとうまくはいかない。チケットのデザインまでしつこくこだわるこの劇団の姿勢は、この3月に早稲田大学演劇博物館で見た「キャラメルボックスの15年展」でもよくあらわれていた。
今回はハーフプライスチケットがあり、朝プレイガイドに並んだ。会場で隣の席がケカリーノ ケカリーナの酒瀬川真世さんだった。もちろん彼女は私のことは知らない。ハーフプライスチケットゲットのことは、インターネットで公開されている彼女の「さかせ日記」にも書かれていた。