福岡演劇の今トップへ 月インデックスへ 前ページへ 次ページへ


《2001.5月−6》

日下部信の新作が見たかった
【連鎖街の人々 (轍)】

作:井上ひさし 演出:日下部信
26日(日)18:00 ふくふくホール プレゼントチケット


 劇団轍の芝居を初めて観た。オリジナルを期待したが、劇団創設以来はじめて既存の戯曲の上演という。日下部信の新作が観たかった!あ〜運が悪い。いくら理屈をつけられても納得できない。自分の劇団で上演する新作を優先してほしいと思う。
 それにしてもなぜ「連鎖街の人々」なのか。井上ひさしを取り上げるにしても、好みから言えば「雨」、「小林一茶」、「薮原検校」あたりが代表作だと思っているので、意表を突かれた。
 「連鎖街の人々」は、昨年のこまつ座の初演を紀伊国屋ホールで見ている。やめようと思ってもつい比較してしまう。しかし考えてみれば、俳優や演出家の選択の範囲が圧倒的に広いこまつ座と比較するのが酷だ。木場勝巳、藤木孝、石田圭祐などのぜいたくな配役に、鵜山仁の演出だったが、それでも結果はごく普通のこまつ座のレベルだと思った。もともとこまつ座の普通のレベルは高いので、ていねいで見せ場はたっぷりと用意されていた。

 こまつ座と比較しながら観たせいもあるが、轍の「連鎖街の人々」も楽しめた。演出や演技の必死の積み上げのあとがわかるし、それを楽しんでいる様子も窺い知れる舞台だった。

 第1幕は、当時の大連の状況と登場人物の立場が説明されるが、やや平板で、低調である。演出も硬く、福岡現代劇場の猿渡演出かと思ってしまった。演出の趣向と俳優の魅力、しゃべりの魅力で引っ張っていかなければならないから大変だが、なかなかそうはいかず、まとも過ぎて興を削がれる。もう少しこわしてもいい。

 第2幕は展開も急でがぜん面白くなる。その戯曲のテンポのよさをがんばって表現して、かなり高いレベルで成功している。テーマの「うそを隠す大うそ」だが、かなり微妙な点が多く、実際のせりふと動きには細心の注意を払わないと観客が納得できるレベルに達しない懸念があるが、いちおううまく表現されていた。

 俳優について見ていこう。劇作家塩見と片倉の個性が同じように見える。同タイプの役者であるのがミスキャストだが、メークや衣装で個性を際立たせる努力があってもいいし、しゃべりももう少し工夫していい。今西と陳は、俳優の個性からして入れ替わった方が面白くなったと思う。ピアニストを女性にしたのはいいが、せりふがもっとうまくとおればなおいい。市川新太郎は、線が太すぎ迫力がありすぎる。軽薄で権力志向なのがずる賢く世渡り上手に波に乗ったはいいが、状況が変わってしまった不安と強がりとをないまぜにして表現するには、軽さと巧まぬユーモアがほしい。

 昭和庶民伝に連なるこの戯曲は、十分に書き込まれていてわかりやすくしかもハッピーエンドで、すっきりはするがもともと余韻は少ない。それが、うそに気がついてからの石谷の納得までが簡単すぎた。さらに終幕で、芝居の楽しさを象徴的に表現するはずのシーンがドタバタに近く、それまでやってきたことを弱めてしまってさらに余韻をなくした。もったいない。

 さらに細かいことを言わせてもらえば、ほぼ全出演者の衣装に若干違和感がある。また、片倉、市川とふたりもサウスポーなのが気になった。サウスポーであることを強調するような片倉の左手での握手は何の意味があったのかわからない。

 以上のように細かいところでは若干の不満はあるが、全体的にはレベルが高く楽しめた。しつこいようだが、それでもやっぱりオリジナルが観たかった。


福岡演劇の今トップへ 月インデックスへ 前ページへ 次ページへ