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タレント養成所の発表会を兼ねたような公演だが、物惜しみせずこれでもかこれでもかと繰り出してくるパフォーマンスがまあ楽しめる。
「銀色のくじら」の舞台は、98年に「紅〜幕末巡恋始末記〜」を観ているがほとんど印象がなく、今回初めて観るのに近い。
「朝日のあたる家」は、この劇団初のホラーだという。ホラー仕立ての、ドラキュラと人間の娘の純愛物語だ。
「銀色のくじら」はタレント養成所を併設しており、舞台はそのような典型的なタレント養成所(俳優養成所ではない)公演のパターンではないかと思う。
この「朝日のあたる家」は、出演者のなるべく多くに見せ場を作るための強引なストーリー展開と、既存のイメージに寄りかかった登場人物など、発表会を兼ねた公演であることを差し引いても、ちょっと荒唐無稽が過ぎるのでは?と言いたくなる。
常套的で知的なところが少ない荒唐無稽さへの不満をぐっと飲み込んで、舞台を見ていこう。
長い、場面が多い、出演者が多いと、けっこう大形の公演だ。しかし場面ごと落差は大きく、大事な場面はていねいで見せるが時にはどうしようもない場面もあり統一感には乏しい。
しかし、これしかないという開き直りで強引に勢いで持っていく、そのパワーはすごい。お客の喜ぶことならというか、やれることなら全部やっちゃえ!という感じだが、少し鼻につかないこともない。
大部分の俳優には知的な演技や切れ味を望むべくもないが、集団演技で見せてしまう。結果、なんでもありでそれなりに楽しい。それでいいかと思う。
俳優では、ほんのワンシーンだけの登場だが西城貴史が圧倒的で、もっと見たかった。すごいうまさだ、もったいない、もっと舞台に立ってほしい。どこに行けば西城の演技を見られるのだろう。
音響がめちゃめちゃで芝居の生き生きしたところを殺していたのが残念だ。