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《2001.6月−7》

イメージの言語化が希薄な台本☆だ
【SAVANNA-CHANCE (あなピグモ捕獲団)】

作・演出:福永郁央
23日(土)15:00 ぽんプラザホール 1800円

 福永郁央の作品は「MORAL」、「Master-Piece」を観ているが、突っ込みが弱く、ストレートなテーマもストーリーも希薄でなじみにくいこともあって、作品の印象はあまり残っていない。
 99年2月に観た「Master-Piece」があなピグモ捕獲団の第4回公演で、今回の「SAVANNA-CHANCE」が第11回公演だから、年数回の精力的な公演活動がわかる。

 こんど久しぶりに観て、全体的によくなっているが、俳優の演技は圧倒的によくなっているのに、戯曲はいま一歩という感想をもった。

 男4人、女6人の10人の俳優が、狂言まわしの双生児、天文学者と漫画家、音楽家と発明者など5つのペアを作って、そのペアが他のペアと絡んだり全員がいっしょにイメージを作りながら進行する。
 出てきたキーワードを使ってストーリーらしきもの追ってみると、「サバンナ」の「地平線」を切り裂く「出口」をもとめて「パレード」し、「ハレー彗星」で切り裂かれた「出口」を見つける、と無理をすれば言えるかもしれないが、ストーリー性は希薄だ。「出口」から更なる高みに連れて行くようなカタルシスも拒否されている。

 5つの俳優ペアによる人物や時間、場所の多元化、重層化とその交錯、入れ子など戯曲作りはいろいろ試行しており、その姿勢は評価できるし、面白い。しかし結果として、各場面のエピソードを結びつけるものが弱くて全体としての統一感がなく、結局何も言い切れておらず成功していない。
 そういうものを拒否しているのならさらにナンセンスな部分を強調すればいいが、中途半端だ。わからない飛躍や無意味な繰り返しが多く、また突然役者が地で演じる部分があったり、アイディアが収束しないし全体の流れを阻害している。だから断片的な情景ばかりの芝居という印象が強く、大きなイメージが見えてこない。グルグルまわってばかりで突き抜けきれない。

 せりふは一見意味ありげに見えながら、陳腐で切れ味も飛躍もなく魅力が薄い。せっかく大きな趣向があるのに、どうでもいい趣向を下手に詰め込んで全体の効果を弱めているのも残念だ。

 以上が俳優の演技を勘案しない戯曲のレベルの評価だが、まあ見せる芝居に仕上がっているのは俳優の魅力が大きい。それぞれに個性があり、演技のレベルも高い(それでも酒瀬川、草野および木村の各俳優はこの4月の「ケカリーノ・ケカリーナ」公演の時のほうが圧倒的に生き生きしていた)。
 それでもあえて演技についてシビアに言わせてもらえば、俳優は空疎なものを意味ありげに演じすぎていると思う。その気持ちはわかるが、作品全体の魅力の中で俳優も輝いたほうがいい。俳優はつまらないせりふにはもっと白けていい、無理に形象化することはない。
 そして、戯曲のレベルを上げるためには、代表にたよるのではなく、俳優も入れての共同創作でもやったほうがいいのではないか。もう一歩突っ込んだオリジナル作品を期待する。


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