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緩慢だが研ぎ澄まされた動き、シンプルだが多彩な表情をみせる装置−この作品は、はじめから終わりまで清冽な緊張を持続した高い完成度で、一瞬たりとも目を離せないほどに引きつけられた。
まったく静かな舞台だが気持ちがゆったりとはならず、なぜか胸が高鳴るほど興奮した。
白塗りに白い衣装の6人の舞踏手は、どの瞬間をとってみても美術品と見まごうような姿勢と絶妙な位置関係にいる。
その舞踏でかれらは相互に響きあうだけではない。かれらの外に拡がる宇宙と響きあうのだ。
静止に近い限りなくゆるやかな肉体の動揺も、「左右のコメカミから外に向かって張った仮想の糸」の長さに無限大を意識するとき、光速に限りなく近い移動とをあわせ持つことになる、というイメージを具現化すること。この舞台のそのような目的は達成されていると思う。
舞台には直径8メートルの丸く低いテーブル、そのテーブルのリングが外れて宙を動く。単純な前後・左右・上下の傾きの、なんと表情豊かなことか。抜群の舞台美術だ。
舞踏手のゆるやかな動きは、太田省吾の沈黙劇を見ている風情だが、その肉体はまったくかっこ悪い。かっこ悪いからこそ表情豊かなのか。歌舞伎の女形の着物を剥いだらこんな姿ではないかという想像が走った。