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《2001.9月−11》

スラップスティックはどこへ行ったのか
【神様は嘘つき (池田商会)】

作:池田祐樹 演出:瀧本雄壱
23日 17:00〜18:50 ぽんプラザホール 1200円


 劇団池田商会の第1回公演は、スラップスティック・コメディとして成功していて、大変面白かった。今回も期待したが、俳優は前回より圧倒的に安定してきているにもかかわらず、前回のハチャメチャな面白さは姿を消し、ありきたりの設定の上、切れ味の悪い舞台作りに終始し、作者の「書けるものですね、なんとか」というコメントとは裏腹に、まったくの期待はずれに終った。

 家族の話だ。兄弟に妹、それに兄が身代金のために誘拐した女を巻き込み、男女入り乱れての愛憎を軸にした葛藤が描かれる。はっきりしない個性と行動の根拠のない不安定さが現代の特徴だとしても、人物の描き込みは不十分で、行動もぐるぐる同じ所で回転するだけで展開しない。

 どうしようもない現代の不安を捉えようとする意欲は買うが、若い感性でそれに挑むのならば、事件シリーズを書けなくなった山崎哲の到達点から出発すべきだろう。山崎哲は、事件にからんだ人(特に主人公)の気持ちに徹底的に迫る。そこにはまだ犯罪に至る理由があった。いまはそれが揺らいでいるから、犯罪あるいは犯罪的状況を言葉にして舞台に定着させることが難しいのだ。

 突っ込み不十分なところをどう落とし前をつけるかとなると、お定まりの「ピストル」だ。女が兄弟を殺すという「ピストル」での決着に逃げ込むくらいなら、くどくどと語ったのは何だったんだろう。安易すぎる。
 日常とかけ離れたところにある「ピストル」をどうしても使いたいのなら、それがそこにあることの理由と、それを使わねばならない状況を、もっと納得がいくように書き込むべきだ。そうすれば、そこまで持っていく過程で人物ももっと描き込めるだろう。
 揺らぐ対象を描いているからといって、書いている方まで揺らいで、対象をぼやけさせてしまうことはない。

 また、舞台で実際に使からには、はっきりとおもちゃとわかる「ピストル」を使うのをやめるべきだ。パンパンと軽い音で、撃った時の衝撃もなく、火花も出ない「ピストル」に頼っていたんじゃどうしようもないだろう。
 哀川翔主演の映画でも見て、「ピストル」の本来のあり方と使い方を研究してみるといい。


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