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《2002.3月−13》

太郎冠者の世界を楽しんだ
ふくおか市民狂言会 (福岡市能楽協議会)

構成:福岡市能楽協議会
26日(火) 19:00〜21:00 住吉神社能楽殿 2500円


 この第1回ふくおか市民狂言会は「太郎冠者の世界」と銘打たれ、福岡在住の能狂言師でつくる福岡市能楽協議会の主催の公演だ。太郎冠者を主人公にした、「口真似」(大蔵流)、「舟ふな」(和泉流)、「鐘の音」(和泉流)、「附子」(大蔵流)の4つ演目が上演された。
 演者のレベルは全体的には高くないが、なかでは和泉流の野村万禄がその圧倒的な実力を見せつける。リズムのある切れ味のいい演技だ。

 「口真似」(大蔵流)は、主人に「自分の言うようにせよ」といわれたのを「口真似せよ」ととった太郎冠者が、業を煮やした主人にいたぶられたとおり客人をいたぶるという話。催眠術をかけたはいいが解きようがないという雰囲気で、しつこくくらいいたぶりあうところは笑える。演技はやや硬い。

 「舟ふな」(和泉流)は、舟を「ふね」と読むか「ふな」と読むかの主人と太郎冠者の論争で、「ふね」と読む和歌を1首しか知らない主人を太郎冠者はさんざん打ち負かす。太郎冠者を小学2年生の近藤凛太郎がりっぱに演じた。狂言の発声になっていた。

 「鐘の音」(和泉流)は、主人に鎌倉に行って「黄金の値」(カネノネ)を聞いて来いといわれた太郎冠者が、「鐘の音」(カネノネ)を聞いてまわるという話で、野村万録の太郎冠者が各寺院の鐘の音を聞き分け、実にうまく表現するのが楽しい。

 「附子」(大蔵流)は、主人に附子という毒だから近寄ってはならぬといわれていた砂糖を食べてしまった太郎冠者と次郎冠者が、言い訳に掛け軸や天目茶碗をわざと壊して附子で死のうと思ったと弁解する話。これもやや硬い演技だ。大正10年生まれの日下部礼三が主人を演じる。

 住吉神社能楽殿には久しぶりに行った。「花組芝居」の公演以来だろうか。
 初めて狂言を観たのがこの住吉神社能楽殿だった。1969年9月に行われた「大蔵流狂言会」で、大蔵弥太郎家元や茂山家重鎮が演じられる演目を10番ほど観た。そのとき日下部礼三も出演されていた。
 そのときびっくりしたのは狂言の幅広さだ。「月見座頭」のどうにもならないほどの寂寥感、「鶏婿」の破天荒さなどにすごいエネルギーを感じた。
 住吉神社能楽殿はなつかしい場所だ。「ふくおか市民狂言会」と「ふくおか市民能」で使いながら保存しようというのはいい運動だと思う。入場料が安いのもいい。


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