小朝の「愛宕山」がすばらしかった。
実にリアルであるが、リアルを超えたともいえる豊かさで、聞いていて豊かな気持ちになり、印象がとても後を引くのだ。単純なテクニックを超えたインパクトこそ、俗にいう芸の力ということだろうか。
それにしても、前座と聞き比べて差がありすぎる。前座がめちゃめちゃとも思えないから、小朝がいかに屹立しているかということだろう。
「愛宕山」は、京都は室町の大家の旦那が、野掛けをしようと、芸者や舞妓、大阪の幇間の一八・繁八などを引き連れて愛宕道に参る。茶店のそばの見晴らし台で谷底の的に向かって土器を投げるところで旦那は小判30枚を土器代わりに投げる。
拾った者の物だと言われ幇間一八は傘につかまり谷底へ飛び降り、夢中で30枚の小判を拾い集める。が、戻る手立てがない。そこで着ていた着物を脱ぐとそれを裂いて長い縄を作り、竹の先にこれを投げて巻き付けて竹を十分しならせておいて、ボンと一足蹴りして茶店に戻る。
小朝の表現をみてみよう。
まずは幇間の山登りを動きも入れて実にリアルに描く。疲れて元気がなくなっていく様などいかにもそれらしく、しかもていねいな性格描写で人物像をくっきりと浮かび上がらせる。それに聞いていて実に心地よい。
谷底に降りた幇間の表現では、人物の気持ちにもグイと迫る。拾い集めた小判を数えるとき、小朝は客席に背を向け背中を丸めて黙々と数える。そのあと客席に向き直ってもう一度数える。
体全体を使ってやや大げさにも見える動きで人物に迫る。
小朝のもうひとつの演目は「越路吹雪伝」。思いは伝わってきたが、せっかくなら落語が聞きたかった。
前座は、林家木久蔵の息子の林家きくおと、故林家三平の息子の林家いっ平。二世落語家らしいまくらだが、本編で何をやったのか忘れてしまった。
仕事を終わってすぐ飛び出して、博多駅から特急に飛び乗って、開演にぎりぎりセーフ。
サザンクス筑後には初めて行った。小ホールは客席の後方が大きく盛り上がって見やすい。若干空きがある程度だった。