先入観に引きずられたかもしれないが、けっこう難解でうまく乗れなかった。先入観とは、初期の作品のようにパワーで押しまくられて納得!というパターンだろうと思っていたこと。
「賞金稼ぎ」については1993年初演当時、「それまでの万歳カラーをガラリと変えた内藤戯曲の異色作」と言われたというが、それからほぼ10年にわたる「劇の幻想性」の追求の結果、今この作品こそが万歳カラーになってしまった。私の先入観は10年古かった。戯曲の構造も複雑・微妙になっており、受動的に観ていてはこの作品の構造は見えてこない、というのが観終ってわかったが時すでに遅し。
イルカになることを夢見る青年と、漁師の敵イルカをねらう賞金稼ぎの話。でどうなの?といわれても、1回観ただけではなかなかうまく説明できない。
半地下の喫茶店にたむろする人たち。そこに来た青年の幻想は、その人たちをイルカをねらう賞金稼ぎとみなす。幻想のなかで賞金稼ぎから逃れて海に帰っていく青年(だったと思う)。
現実と幻想の境目がわからないで揺れ動くというような作りだが、演技は徹底的にリアルで完成度にこだわっているように思えた。それも初期の作品との違いだ。
夢か現実かわからない重層的な構成で、「幻想=夢見ごこち=眠気」を作為的に作り出されたかなと思われるほど、ときどき猛烈に眠たかった。「劇の幻想」を、という作品のねらいに嵌ってしまったのか。
内藤らしいテーマの強さと鋭い切れ味を感じさせるところもあるが、むしろパワーの多くがこの作品の完成度志向に埋もれてしまったように見えた。眠気は完成度にこだわった分エネルギーが弱くなってしまったからとも考えられる。
作者は、「日常的に極端なことに早々出くわさないのに、舞台の上では色んな事が起きるのは変だっていうところが、静かな演劇にはあるのですが、僕はこれは全くのナンセンスだと思う」 と言っているが、この作品の演技の質は「静かな演劇」そのものと思えた。もちろん全体に大きな仕掛けがあるから作品そのものは「静かな演劇」ではない。
俳優の演技はむしろ練り上げられすぎていて、ツルツルに磨かれて却って引っかかってこないのだ。大きな仕掛けで象徴的に際立たせようとしても、なぜかエネルギー噴出が弱いと思ってしまうのだ。はじめに言ったような先入観のせいもあろうが。
半地下の設定で、窓からは外を通る人の足だけが見える。終幕、その窓が海の中に変わる。幻想的だ。そのような工夫は楽しめた。
この感想、支離滅裂になってしまったがこれでもまとめるのは大苦労だった。同情してほしい。
1980年に旗揚げしたこの劇団は、20周年を期に一年間休団したがこれは復活後の第一作。劇団員連名に「味楽智三郎」の名が見えないのがさみしい。
福岡公演は2ステージ。土曜のソアレは5割強の入りだった。