状況劇場における唐十郎体験をいまわかりやすく追体験させられているという趣きだ。
わかりやすいのは戯曲をきちんと読み取ろうという姿勢に加えて、この劇団らしいしつこさでおもしろさを徹底的に表現しようとこの戯曲の迫っていて、迫力満点ではある。切れ味と狂気も相当なものだが、状況劇場に比べるとつぼをていねいに押さえたところがわかりやすいと見える所以か。
それにしてもこのごろの唐組の舞台では、唐十郎らしいエネルギーに満ち溢れた作品が少なくなったと思っていたところだったので、この作品は改めて唐戯曲のすごさを感じさせてくれた。
戯曲には唐戯曲の特徴が詰め込まれている。
重層的な構成のなかで、強烈な状況が提示されそれが思い切り変化していく。狂気じみた人物も思い切り流れていく。時空をかなり飛び回り行き来する。
それぞれの場面の印象が鮮烈なためストーリー性はそれほど強くないと感じてしまうが、けっこうぶっ飛んだストーリーだ。それを切れ味のいいセリフで満たしている。
血と崩壊がテーマで、愛染かつらと関東大震災と満州国が繋がり入れ混じる。
愛染病院に来た謎の引越し看護婦ことサト子の流浪に、青年肥後の守、院長袋小路浩三、歌う看護婦高石かつえなどがからむ。
同じ俳優が演じる複数と見える人物が、同じ人物が変わったものかまったく別の人物なのか観客の想像力にまかせていて、人物も状況もボーダーレスに複雑にからみあって独特の雰囲気を醸しだすという作りだ。そういうレトリックがたくさん仕掛けられているから単純ではない。
イメージは鮮烈だ。ほうずき、夕陽、こうもり、注射器でガランス色の血を強調する。それは、実父の子を生んで自分とも母とも同じ名前をつけるサト子は、血の純粋さで永遠への志向を強調する。川島芳子を継ぐものとして満州へ渡ったサト子は街の女に。境遇を嘆き母の人形を作り、母と自分が混乱するサト子は、自らの手首を剃刀で切る。
梗概を書いてはみたが、強烈なそれぞれのシーンが作り出すイメージは鮮烈で複雑で微妙で、そう簡単に書けるほど単純なものではない。
これらを支えているのは演出の金盾進の唐戯曲への執念だ。
実質上演時間が3時間を超えるが、それを支えるエネルギーたるやすごい。舞台に乗り入れてくる軽トラック、人力車、天井から降る水、宙吊りなどなどが、これでもかとばかり繰り出されてくる。
それらが複雑な構造の戯曲の進行とからみあいながら相乗していくことで印象はますます強まる。思い入れの強さがややねっとりさせたかなという感じはあるが、それはこの劇団の持ち味でもある。
俳優は形象化の努力のあとが見え、よくやっていてそれなりに成功してはいる。袋小路浩三役の小檜山洋一が迫力。中年男役の大久保鷹も異様な雰囲気で見せる。謎の引越し看護婦の近藤結宥花、強烈に変幻するサト子を思い切りよく演じ分けていて見せるのだが、ややこじんまりなのが惜しい。全体的には皆高いレベルの演技だが、役の個性と魅力が十分に出ていないと感じさせるところもあった。
花園神社には紅テント公演などでけっこう行っている。新宿梁山泊は今回初めて花園神社テントを立てた。テントのまわりにはヨシズのタテモノがたてかけられている。風鈴をつけたほうずきの鉢が舞台裏に一面に吊るされていて、舞台装置の一部だ。
当日券の販売はなく、キャンセル待ちでやっと入れた。最前列左端の席はかなり見にくかったが、熱はモロに伝わってきた。ボリュームたっぷりの唐&金ワールドを堪能できて満足した。