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《2002.9月−9》

思い切り◎やってくれたぜ
【Re:”Monster”(あなピグモ捕獲団)】

作・演出:福永郁央
16日(月) 14:00〜15:40 アクロス福岡・円形ホール 3本通し4500円


 やっと福永郁央にめぐり会えた。
 いままで喰い足りずイライラしてきたが、宇宙妄想組曲・最終楽章のこの舞台は福永の魅力がびっしり詰まった集大成ともいえる作品だ。満足!満足!! モヤモヤが吹っ切れ、福永を観るための足場が固まった。ここからその先へ、あとはどんどん好きにやってくれ、という気分だ。

 パワーに満ちあふれている。質量たっぷりの多面カットのクリスタルガラス見るようなイメージの多彩さで大いに楽しめた。
 脚本も演出も演技もすべて高いレベルで実現おり、テクニカル面もさらに磨きがかかった。個々のシーンのイメージは鮮烈で、それらが入り込み交錯し否定しあってイメージはさらに広がるが、それでも作品はみごとに一体化していてうまくバランスしている。
 表現に勢いがあり、次から次へと鮮明なイメージを結び、結んだイメージを次から次へと否定していくのは気持ちいい。顕れたものを否定しつづけるというカタルシス拒否の芝居の真骨頂だ。ただこの作品では否定ばかりではなく受けや連携もうまく取り込んで緩急をつけ印象を深くしている。

 簡単にあらすじが書けないのが福永戯曲の特徴だが、今回もその例に洩れない。
 故障したアポロ13号が月に向かうということを選択したというのが基本となる話だが、アポロ13号に対応するノアの箱舟の世界がありそれに乗せる羊の話が入れ混じる。さらに「伏線」と羊の糸を象徴する 赤い紐 が舞台を覆う。
 脈絡なしと見えるは展開は相変わらずでも、多層性はこれまでほど強くないため、全体のイメージが掴みやすくなっている。そこにたっぷりと一見象徴だらけと見えるコンテンツを詰め込んだ。
 羊に関してだけでも 382匹の羊、滑走路の羊、羊を食べる、ノアの箱舟に羊を乗せる、羊が溶ける・羊を逆から数える といった具合だ。自分を追いかける自分 とか、月の石で切り裂かれた胸 とかのよくわからない硬質なことばがいたるところに置かれる。シイン−子音・死因、センセイ−医師・家庭教師 などのことば遊びにことば遊び以上の意味を持たせる。それらが圧倒的なボリュームで繰りだされる。その多彩さにとても全部理解できるレベルではない。

 逆説的にしか語ろうとしない福永の性向がこの作品では揺れ動き、逆説だけだはない積極的なコンテンツの充実が形式を呑み込んでしまった。
 この作品が成功しているのは、その圧倒的なボリュームで、企図したと思われるフレームからこぼれ出しているということだろう。コンテンツが全体構造を覆い尽くし一体感を生み重層性を薄くした。充実したコンテンツが逆説的にしか語ろうとしない福永を裏切ったと見えた。
 その結果、積み上げたものを壊し続けるカタルシス拒否が勢いを持ったように思う。カタルシス拒否が成功するには拒否されるイメージが鮮烈でなければならないし、否定のしかたもまた鮮烈でなければならない。その兆しがコンテンツの充実の先に見えた。突き抜けた先にあるもっと異質の、かって存在しなかったようなカタルシスを予感させた。そのことはこの作品が私には、厭世的な気分が薄く希望だけが語られたと見えたことからもわかる。

 俳優は、黒い同じような服を着て個性を殺して、様式的・無機的ともいえる演技だ。演出意図なんだろうがそれでも、主演俳優が 様式的=おおまん の図式に乗ってしまっていて、切れとみずみずしさが足りないのが不満だった。表情豊かである必要はないにしろ、演技の幅と凛としたところは要る。
 この宇宙妄想組曲シリーズのテクニカル面の高さはこれまでも言ってきたが、この作品で最高潮に達した。例えば、一瞬だけ部分ライティングというのを俳優と連携して連発していて効果を上げていた。

 この作品はことしの福岡演劇を代表する舞台になると思う。ビデオを発売してもいいくらいだ。
 わずか3ステージではもったいない。


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