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《2002.4月−16》

アントンクルーの◆地に戻った
【〜テネシー・ウィリアムズな夜〜 ロング・グッドバイ/話してくれ、雨のように・・・ (アントンクルー)】

翻訳:岩井眞實 脚色:森武茂樹 演出:安永史明 演出補:森武茂樹/翻訳・脚色・演出:安永史明 演出補:吉浦佐喜子
26日(土) 19:00〜20:25 ぽんプラザホール 1500円


 きょうの2作品でまた元の陳腐なアントンクルーに戻ってしまった。せっかくきのう演出の面白さを少しは感じさせてくれたのに。
 変な脚色と変な演出の横行だから、きょうの作品にはもうちょっとマシな「演出補・補」が要る。

 「ロング・グッドバイ」は、四角いところを丸く掃くという感じの甘すぎる脚色と演出だ。
 なぜビルと母をきちんと登場させないように勝手に変えたのだろう。結果、作者のねらったモンタージュ的手法も生きず、一家崩壊の過程がわかりにくくなってしまった。ビルの俗物性はジョーと対比させるためにも必要だったはずだ。なんちゅう馬鹿なことを!
 リアルさを壊す音響や子供の声など、作りの粗雑さも目立つ。
 演技も斜に構えていてカッコウばかりでいっこうに突っ込まない。朗詠調のしゃべりで表現が大雑把すぎる。マイラに魅力がなく、変わっていくところの表現もできていない。
 最後にジョーは、気楽な旅行にでも行く風情で「敬礼」までやってのける。この戯曲のどこをどう読めば「敬礼」が出てくるのだろうか。読み取りが甘いというよりも、狂っているとしかいいようがない。

 「話してくれ、雨のように・・・」も似たりよったりだ。
 短編小説が背後に大きな世界を感じさせるように、短いこの作品の背後には、どうしようもなく求めあわずにはおられない男女の営みが、太縄のようにねじれながら横たわっている。
 しかしこの演出はそうは捉えていない。そのことは最後、窓際の男がベッドの女を振り返らず、しかもご丁寧に暗転をはさんで空っぽの部屋まで示してくれていることでもわかる。――ト書きには「振り返る」と書かれているのに、なぜこんな重大なことをト書きどおりやらないのだろうか。作品の主旨をここまでねじ曲げていいはずはあるまい。
 メリハリも弱い。男の話の現実と女の話の夢想が際立ってこそふたりの関係も見えてくるのに、ふたりともなんという凡庸なしゃべり。トロトロと朗詠しておけば無難とばかりの逃げまくりの演出だが、無難なはずがあるまい。役者も工夫がなさすぎる。

 そのように2作品とも期待はずれだった。奇をてらってばかりでちゃんと戯曲の読み取りもできていない演出ではどうしようもあるまい。「テネシー・ウィリアムズに乗っかった習作な夜」とでもいうべきだろう。習作以前かもしれない。

 何でこうなるのかつらつら考えていたら、やっとわかった。この集団は極端な「褒められたい症候群」なのだ。でないと、観客が言うならまだしも自ら「装置必見!」などと言うはずがない。褒められるためにはチェーホフやテネシー・ウィリアムズの功績も自分の功績のごとくにカムフラージュする。前説が饒舌になる所以だ。しかしきょうの舞台に見るように、本気で表現する気などないのだ。だからつまらなくて当然なのだ。
 褒められたいばかりの人間の耳に私の素直な感想が心地よいはずがなかろうが、その素直な感想が厳しいと見える理由はこれでわかる。それでも、いろんなありようがあっていいから勝手にやってもらえばいいし、この集団に騙されたい人は好きに騙されればいい。

 この2戯曲の組み合わせはあと28日、30日に上演される。上演時間は、「ロング・グッドバイ」が約35分で、「話してくれ、雨のように・・・」が約30分。
 きょうはほぼ満席だった。


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