思い入れたっぷりの脚本だ。
重いテーマに取り組んでいるのはいいとしても、内容を詰め込みすぎていて演出が消化不良になっている。社会派ドラマをめざすとはいえ、柔軟さに裏打ちされた躍動感がほしい。役の設定が17歳なのに今を生きる若者らしくないのもちょっと気になる。
「12人の怒れる男」の「10代しゃべり場」版ともいえる作品だ。佐賀での西鉄バスのハイジャックなど17歳の犯罪が頻発したことを見つめようとして書かれた。構成は「12人の怒れる男」を踏襲している。
砂場で遊んでいた3歳の女の子が抱いていたキティちゃん人形の顔にアイスピックを突き刺して逃げた17歳の少年Zの量刑を決めるために、12人の17歳の陪審員が集められた。その陪審員それぞれの生き様がけっこう詳しく描かれる。11人までがトラウマを抱え、12人目の陪審員長はトラウマがないことがコンプレックスになっている。
それぞれがけっこう重いトラウマを抱えていることはうっとうしいくらいだ。不良、いじめられ、輪姦被害、母親の浮気 等々、それぞれの重すぎるトラウマを駆け足でたどる。それら各人のトラウマが重なるところに、少年Zのアイスピックが突き刺さるという構造だ。そこはやや図式的で、「少年Zの罪はみんなの罪」と簡単に言い切ってしまっていいとは思えない。
テーマの重さとセリフの多さを大事にしすぎていて、演劇的な面白さまで至らない。まじめに観ろよ!と言われている気分だ。そのあたり、ドラマドクターの後藤ひろひとさんも指摘していた。もっと発想力豊かな演出がほしかった。
いかにも古臭いセリフをしゃべる17歳というのも気になった。20歳前後の俳優が演じているのだから、自分らの言葉に置き換えればよかった。そのことからも俳優は作・演出のいいなりというのがわかる。その範囲ではよくやっていると言えるが、試行錯誤してそこから突き抜けることはないという演技だ。
少年Zを知る陪審員のひとりから、少年Zが母親の若いころの写真をみてオナニーをしていたこと、その母親との決別のためにキティちゃん人形にアイスピックを突き刺したことが告げられる。
さらにトラウマがなく懺悔することのない陪審員のひとりは、無理にトラウマを作ろうとさえする。
ひとりとして白けた人間がいないというのがむしろうそっぽく感じられる。最後まで白けてこの状況からスピンアウトする若者がいないとは思えない。でもそこまで求めてもしかたないか。
観客は30人くらい。あすもう1ステージある。
終演後約30分間、芝居ゼミというドラマドクター・後藤ひろひとさんによる講評があった。KIN−DO芝居はけっこう観ているが、芝居ゼミを見たのは初めてだった。ポイントを簡記しておく。