この「リア王」のキャストはすごい。
主だったところだけでも、平幹二郎(リア王)、藤木孝(コーンウォール公爵)、坂本長利(グロスター伯爵)、勝部演之(ケント伯爵)、原康義(エドガー)、新橋耐子(ゴネリル)、一色彩子(リーガン)と、単独でも主役が張れる俳優がずらりと並ぶ。
それらの個性的な俳優のしつこいと思えるほどのからみがいちばんのみどころだ。
特に印象が強い2つのシーンに 坂本長利 がからむ。
ひとつは、権力を持ったコーンウォール公爵(藤木孝)が陥れられたグロスター伯爵(坂本長利)の目玉をえぐるシーン。藤木孝 のねちねちした悪党ぶりが際立つ。
もうひとつは、気が狂ったリア王(平幹二郎)と目が見えなくなったグロスター伯爵(坂本長利)とが互いに相手を確認するシーン。互いに相手がわからない平幹二郎と坂本長利のコミカルなやりとりから始まり、相手を認識するまでをじっくりと見せる。坂本長利の演技は、役を自分の体に取り込んでしまったというすさまじい演技だ。
平幹二郎の演出は、オーソドックスに基本的なことを押さえながら、俳優にまかせることで俳優の個性を発揮させた。やや平板だが、じっくりとしつこく細部にまで気配りした演出だ。
島次郎の美術がいい。背後に一面にパネルの組み合わせがあり、舞台は大きな円盤が後方を若干上げたかたちで置かれ、ほとんどがその上で演じられる。円盤の上に置かれるのは一本の木と小さな舟だけというシンプルさだが、不自然さはない。
リア王はいちど気が狂い、狂気のなかに理性があるという状態をさまよい、末娘コーディーリア(小林さやか)に会うと正気に戻る。正気に戻って悲惨極まる現状の認識ができればこそ悲劇性も強まる。そしてついにはコーディーリアの死。
神に救いを求めても、神は関知しない。人間が引き起こした救いのなさこそシェイクスピアが描く悲劇だろう。
この公演は福岡市民劇場の2月例会で、きょうを初日に16日まで11ステージが続く。きょうは若干空席があった。