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《2003.2月−7》

よけいな夾雑物が★☆おもしろさを殺す
【ピエロ人形の詩/おやじ (アクティブハカタ)】

作:山崎陽子 演出:伊集院晃生/作:不明 演出:伊集院晃生
9日(日) 18:05〜19:40 大博多ホール 2000円


 アクティブハカタのぽんぷ劇場公演に、はせがわ天晴 の「おやじ」を観にいった。はせがわ天晴 のマイムの表現はなかなか見せるのに、あまりにおかしな演出でいちばんおもしろいところをムザムザ殺しているとしか思えない舞台だった。
 この劇団の舞台づくりの感覚の陳腐さは、私の許容限度を超えていて耐えられない。だからもうひとつの「ピエロ人形の詩」はかなりの時間眠っていた。

 「おやじ」は、嫁ぐ娘を前に父親が娘とのふたりの日々を振り返るという内容の、パントマイムを中心にした作品だ。セリフはなくバックにはギター曲が流れる。
 娘の病気、夜店、運動会、遊園地、父の弁当づくり、父の仕事の道路工事などのシーンで娘と父の思い出と思いが語られる。素朴で無骨でやや鈍くて一生懸命の父の姿を はせがわ天晴 のマイムはうまく表現していく。特に顔の表情も使って心情をうまく表すのが特徴で情緒的であたたかいが、そこまでやるのならもっと突っ込んで叙情的に引っぱることでその特徴をさらに強調してもいいかと思う。

 それでもマイムはいいのだが、マイムのまわりによけいなものが多すぎる。
 そのひとつは語り手の犬(あるいは牛?)のしつこい語り。着ぐるみで娘の日記帳を読むのだが、イントロの語りはまだいいとしても、シーンの終盤でマイムが作ったいいところをさっさと語りが引き取ってしまうのは何ともいただけない。マイムにも不満が残るし、余韻を遠慮なく消してしまって平気だ。
 もうひとつはよけいな人物がチャラチャラと舞台に出すぎること。父娘以外のところにに焦点がぼやけてしまう。人物を絞り込んでシンプルにしたほうがマイムも生き印象が強まる。出演者を絞れない事情があるのかもしれないが。

 もうひとつの作品「ピエロ人形の詩」は、両親のいないすね気味の少女をはげますピエロ人形の話の歌芝居。少女役はしゃべり歌を歌い踊るまではいいとしても、語りまでやるというのは不自然だ。タレント養成所の発表会だから、家族とか知り合いではない人間には見つづけるのがつらい。

 小劇場の雰囲気を出すとかで、客席途中にパネルを立てて400席のホールを150席くらいに使うということをしている。それは福岡の会場不足を象徴しているのか。あまりかっこいいものではない。
 それでもその150席に半分くらいの入りだった。


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