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《2003.2月−9》

情緒的な☆★☆歌しばい
【ミュージカル つばめ (わらび座)】

脚本・演出:ジェームス三木
15日(土) 14:05〜15:55 そぴあしんぐう大ホール 4000円


 ジェームス三木 はさすがに刺激すべき涙腺のツボを心得ていて、その気になればたっぷりと情緒的に泣かせてくれるという舞台だ。
 ミュージカルと銘打ってはいても単純な歌舞入りの芝居だ。不満は、ストレートプレイ部分が弱くて作品としてピリリとしないこと。となりの年配の女性はハンカチまで取り出して大泣きだったが、私にはウルウルしそうになりながらも情緒的なところが少し鼻についてしまった舞台だった。

 豊臣秀吉の朝鮮出兵から10年後、徳川の世になって朝鮮と国交が回復し朝鮮通信使が日本を訪れた。
 通信使をもてなす彦根藩で、通信使のひとり李慶植は、今は彦根藩士・水島善蔵の妻となっている妻・燕(お燕)の姿をみつける。
 前夫と今の夫との間、朝鮮と日本のあいだを揺れ動くお燕。夫どうしは互いに相手の立場を理解しあい友情さえ感じて、お燕を朝鮮に帰すことにするのだが・・。

 国と国との確執が押しつぶす愛を描いたドラマで、大きな骨格を人物にうまく託した手腕は手慣れている。
 戯曲は徹底的にわかりやすい。お燕は朝鮮出兵で日本につれて来られ、太閤秀吉に献上されたあと彦根藩主の側室となり、藩主の死後藩士・水島に下げ渡された。朝鮮出兵で日本に拉致された7万余人の刷還(連れ戻し)こそが朝鮮にとっては通信使の役目である。
 その互いの思惑を夫どうしの友情で何とか乗り越えたと思いきや、拝領妻を朝鮮には戻せないという彦根藩のメンツのためにお燕は進退きわまり自害して果てる。

 歌舞について見よう。
 この舞台での歌は心情吐露だけで、ドラマをはらまない。かなり多い朝鮮の歌舞芸能は、通信使の見せる芸能として舞台を彩り、よく鍛えられていて楽しめるが、それがドラマの推進役となるミュージカルの歌や踊りとは本質的に違う。そういう作りだ。
 これらの歌舞は、この舞台を情緒的に盛り上げるのに大きな役目を担っている。しかし私にはそれが不満だ。もっと殺伐でサバサバでのいいじゃないかと思ってしまう。

 そぴあしんぐう には初めて行った。
 アクセスが悪いが、それはハード面の質の悪さのひとつと言える。帰りに無料バスが運行された。
 きょうの席はN15で前から12列目のほぼ中央だが、舞台からはけっこう遠い。というのは、前から7〜8列目の後のいちばん見やすい位置に作られた車椅子用の席と通路のためだ。車椅子は20台以上も置けるような広いスペースがポッカリと客席に穴をあける。このような観客の一体感を削ぐような設計は本来の観客サービスを見失っているように思う。
 この公演はここでは1ステージ。観客には年配者が多い。約600席の会場に8割くらいの入りだった。


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