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《2003.5月−1》

宝塚らしい満足感に欠ける
【蝶・恋/サザンクロス レビューV (宝塚歌劇)】

作・演出:植田紳爾/作・演出:草野旦
1日(木) 18:00〜20:50 福岡市民会館・大ホール 3700円


 この時期恒例の福岡市民会館での宝塚歌劇の公演をはじめて観た。じゅうぶん満足というわけにはいかなかった。
 宝塚歌劇はいままで、宝塚大劇場、前の東京宝塚劇場、それに博多座でしか観たことがないが、福岡市民会館大ホールはそれらの劇場に比べて圧倒的に演劇上演の環境が悪い。そのことが宝塚歌劇らしい満足感がなかったいちばんの理由のように思う。

 「蝶・恋」は、舞楽士をめざす若者の恋物語を描く舞踊劇で、上演時間は約75分と宝塚歌劇のメインの作品としては短い。
 父の病気で故郷に帰った女は、父が亡くなり、後を継ぐために意に染まぬ結婚を迫られて自殺してしまう。遅れて訪ねてきた相愛の男も女の死を知って、女の墓の前で自死する。

 宝塚歌劇は、観客が同じ状況に耐えられる限度を5分とみて作られている。
 例えばラスト近く、@別れ・女の帰郷 (5分) A父の死と女の結婚話 (5分) B女の自殺 (5分) C訪ねてきた男の自死 (5分) Dふたりの蝶のおどり といった具合だ。そんなふうに筋の運びはいい。舞踊劇なのでそれほど突っ込むこともないから、飽きさせないための作り方のパターンが少し見えた。

 「サザンクロス レビューV」は明るく軽快な南米調のレビュー。あふれる色彩と、ダイナミックなダンスが楽しい。

 男役トップの 湖月わたる は端正で素直な演技だが、スケールが少し小さいかなという気がした。トップになりたてだからしかたないか。娘役トップの 檀れい は目鼻立ちが大きくはっきりとしていてかなり個性的だ。

 福岡市民会館大ホールは、古いこともさることながら、その作りが何ともつっけんどんで、熱気が掻き消えてしまってこもらない。
 席が3階席の後方で舞台から遠かったことを勘案しても、会場のつっけんどんさが舞台と観客の一体感を阻害しているとしか思えなかった。舞台を見て手拍子をしているのは1階席の人だけであるのをみてもそれはわかる。

 旅公演向けの作りのためだろうか、本格的な装置が少なく幕や書き割りが多くて、ややお手軽という感じだ。回り舞台はあるはずだが使わない。大階段もなし。そういうところがやや薄っぺらと見える理由と思われる。

 今回はアートリエの優待割引チケットで6500円のところを3700円で入場したが、入場者が多く席は悪かった。それにしても、1800人が入る会場が全部同一料金というのはどうかと思う。



  魅力の圏域 【井上瑞貴さんからの意見】  

 以下は、「宝塚らしい満足感に欠ける」というタイトルで書かれた【蝶・恋/サザンクス レビューV (宝塚歌劇)】に対する薙野氏の評の一部だ。

「福岡市民会館大ホールは、古いこともさることながら、その作りが何ともつっけんどんで、熱気が掻き消えてしまってこもらない。
 席が3階席の後方で舞台から遠かったことを勘案しても、会場のつっけんどんさが舞台と観客の一体感を阻害しているとしか思えなかった。舞台を見て手拍子をしているのは1階席の人だけであるのをみてもそれはわかる。」

 有村氏は、むろん「1階席」で「手拍子」をしていた。宝塚歌劇を観にいった動機も情熱も、まったくふたりは違っていた。
 薙野氏は仕事が終わってから出かけたが、有村氏は仕事中にはもう姿はなかった。
 そして有村氏は、初めからよく知っている宝塚の魅力に魅惑されるためにでかけた。薙野氏はというと、舞台ならなんでもというところがあるが、やはり観劇体験に魅了されるため、満足感のために出かけたのである。

 見る前からすでに魅惑されている有村氏は、最良の席に座った。見るまでは期待しかいだいていない薙野氏は、残念ながら、「席」が悪かった。その席のせいで、宝塚の魅力の圏内へとはいることはできなかった。すでに落差のあったふたりの満足感に、さらに大きな、決定的な落差が開いたみたいだった。
 しかし、見るはるか以前から、この落差は準備されていたとしたらどうだろう。宝塚歌劇のファンとそうでない人を分離する境界線が、画然と引かれていたとしたら。そして「いい席」と「わるい席」という分割は、「すでに終わっている選択」の、ただ象徴的な標識だったとしたらどうだろう。
 つまり宝塚が、「熱烈な宝塚ファン」の存在によって、常に閉ざされた世界にされているのだとしたらどうだろう。

 「良く書いてほしかったなあ」と有村氏は言うが、この評はよかったと思う。

「宝塚歌劇は、観客が同じ状況に耐えられる限度を5分とみて作られている。
 例えばラスト近く、@別れ・女の帰郷 (5分) A父の死と女の結婚話 (5分) B女の自殺 (5分) C訪ねてきた男の自死 (5分) Dふたりの蝶のおどり といった具合だ。そんなふうに筋の運びはいい。舞踊劇なのでそれほど突っ込むこともないから、飽きさせないための作り方のパターンが少し見えた。」

 こんな評は、魅了されていたらもちろん書けない。むしろ魅力の圏外であること、席が悪かったことが書かせたのだ。魅了されるために出かけたのに、魅了されている人たちは一階席に、目の前にいるのに、自分はそこからはじき出されていた。排除されながら参加する、そういう場だけが可能にした評だと思う。
 ほんとうに「観客が同じ状況に耐えられる限度」を考えて、5分ずつの構成にした、というのは疑問だが、5分刻みの展開であることに気づくのは簡単なことではない。時計を見なければならないからで、時計を見るということは、目の前のものを絶えず相対化し、否定することだった。宝塚に「ふられた」ことで、まるで宝塚を「ふり返した」みたいだ。

 悪い席であったことが、なかなかおもしろい評を書かせた。この評によって、魅力に圏域をつくる「劇場」という空間について考えることもできたし、その圏域は、劇場ではなく宝塚が作り出しているともいえるし、「熱烈な宝塚ファン」によって作り出された、そう考えることもできた。
 5分ごとに場面を変えるということはいったいどういうことなのか、そんな時間についての着想にも刺激を受けた。
 ある真実を見る視点を、(席が悪いという)不幸によって手に入れる。不運もまた、幸運の一種だということだろう。

[薙野のコメント]
 井上瑞貴さんは、薙野と同じ職場に働くコンピュータ技術者。また、文中に出てくる有村さんは、やはり同じ職場に働く若いシステムエンジニアで、年に数回は宝塚大劇場や東京宝塚劇場まで観に行くという熱烈な宝塚歌劇のファン。今回の公演も待ち焦がれていて、いい席で4回も観たというから、いやはや。


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