今回で最終公演となるこの公演は、薪能の楽しさを堪能させてくれたが、野外公演ならではの若干の不満もあった。
出店が出たりという楽しさも味わえるこのようなイベントがなくなるのは、ちょっとさびしい。
東郷駅から無料のシャトルバスで会場に着くと、駐車場に作られている舞台前の客席にまず席を確保してから、鎮國寺の本堂にお参り。テントが張られ、お弁当や饅頭やラブ汁などがにぎやかに売られている。
駐車場に作られた能舞台は、舞台と橋掛かりの床に竹の柱が立てられ、柱の間に細いしめ縄が架けられている。松の絵もなく、後ろの林が背景になる。
17時45分から火入式で、12人で3つの薪に火がつけられ、勢いよく燃え上がる。
○能「翁(おきな)」
この「翁」は、演劇的な能の成立以前の神事などの祝祭形式を残す能で、「能にして能にあらず」といわれ、他の能に見られない特徴がある、と解説された。その特徴は、ストーリーがないこと、囃子の構成が小鼓が3人とふつうとまったく違うこと、そしてその囃子方までが正装することなど。
面箱を先頭に、シテ・翁(観世清和)、千歳(森本哲郎)、三番叟(野村萬斎)の順に登場。シテの祈りのあとの千歳(せんさい)の舞がダイナミックに舞われる。
その間にシテは翁の面をつけて「神」となる。その翁の舞はゆったりと大きい。
翁と千歳が退場したあと三番叟。舞台いっぱいを使ったスピーディな舞で農民のエネルギーを表現する。その動きも笛の曲も神楽に非常によく似ている。三番叟だけで30分で、全体では1時間の上演時間。
○狂言「口真似(くちまね)」
主人に、粗相がないようにと自分の口真似だけしているように言われて太郎冠者(野村萬斎)、自分への命令や折檻もすべて真似して、客人をいたぶってしまう。
野村萬斎の、わかっているのかわかっていないのかわからないような、いかにもきかん気の強い太郎冠者を演じるその表情がいい。敏捷な動きもひと味違う。上演時間15分弱。
○半能「石橋(しゃっきょう)」
後半の赤・白 二匹の獅子のダイナミックな舞。そのなかでも白獅子(大槻文蔵)は重厚さを漂わせ、赤獅子(武富康之)は敏捷に激しい。同じような動きをしていながら、ちょっとした動きの差で二匹の獅子の年齢の違いやその関係をくっきりと見せる。上演時間20分弱。
空には星が光り、周りの森の木々の緑が幻想的に浮き出す。そのような景色は野外能ならではだが、舞台の装置などでは不満もある。
1000人以上の入場者だからマイクを使うにしろ、その音質と音量が問題だ。マイクの感度がよすぎて雑音を拾い聞き苦しいし、音量も大きすぎて生の感興を消してしまう。
舞台の床板の薄さが、床の音をまったく薄っぺらにしていて、これも感興を削ぐ。