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《2003.12月−12》


【素晴らしきこの世界 (あなピグモ捕獲団)】

作・演出:福永郁央
28日(日) 15:05〜17:20 西鉄ホール 2000円


*** 執 筆 中 ***

 観終わってからすぐに開かれた、この作品の合評会に出た。評価は人によってけっこう大きく分かれた。
 それは、よく言えば多様であるが、悪く言えば書き足りていない、ということだろうか。福永作品の理解のためには、福永作品への慣れも必要と思えるが、それがいいことかどうかわからない。
 この作品では、体調不良のせいもあって、ついウトウトしてしまった。外面的な仕掛けはド派手なのに、内的な構成は弱い。思い描く福永作品とはちょっと違うという印象を持った。

 福永郁央は詩人だ。成功した作品では、一見脈絡なく紡ぎだされる言葉が、独特の世界を作る。
 福永作品では、言葉が重心に向かって寄り合い絡み合いぶつかり合って熱を発する。ぶつかり合いながら、個々の言葉はキラキラ輝き始め、それらが層をなして大きなうねりとなっていく。具体性を超越した、イメージの世界だ。
 その世界では、ストーリーはさほど重要ではない。イメージは軽々と飛翔していく。乗り越えられるべき障壁の存在は希薄だ。
 これが、福永の作品を、カタルシス拒否系の芝居と勝手に呼んでいる理由だ。

 そんな風に考えているから、この作品にはけっこう違和感があった。それはこの作品が福永作品にしては、ストーリー性が強いことのためである。
 ストーリーが主張して動き始めると、言葉はそれを追っかけることになってしまう。言葉は分散化し、総体としての力を失う。言葉は、部分部分で、末端で、キラリと光ることはあっても、大きな層にまでなることはない。
 ならばストーリーはけん引役を果たしているのだろうか。ここでは、アクションの根拠を明示しないためストーリーの説得力は乏しい。きびしく言えば、そういう評価になる。


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