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《2004.10月−1》

芸術性と社会性を、融合したダンス
【イディット&ディマのセパレイト・デュエット・イブニング (シアター・クリッパ)】

構成:イディット&ディマ
1日(金) 19:00〜20:30 早良市民センターホール 招待


 イスラエルのダンス・カンパニー「シアター・クリッパ」による「イディット&ディマのセパレイト・デュエット・イブニング」は、イディットとディマがそれぞれのソロ・パフォーマンスを行うが、それらは構成において相似形に見え、ふたつあわせてひとつの作品という作りになっている。
 ふたつとも、えぐり出した現実をダンサーの身体に受け容れて定着させ、それを偽悪的とも見えるやり方でさらすが、ダンサーの受容力と圧倒的な表現力で多くのものを孕んだ存在感のあるダンスとして展開された。軽やかさや心地よさを拒否した、大地にへばりつくようなダンスだ。

 女性ダンサーのイディット・ハーマンによる「ザ・パニッシュメント・オブ・ラスト(欲望に対する罰)」が描くのは”陰”の世界。上演時間約50分。
 開場したときすでに舞台は始まっている。臥して動かないイディットが、開演するとモゾモゾと動き出して、からめ取られた大地を振り払うように立ち上がろうとのたうちまわる。その非常にゆっくりとした動きのなかで、手足の向きがいかにも奇形と見えるほど不自然(二人で踊っているのかと思ったほど)だったり、仰向けになりながら見せる眼の光が異様に鋭くきびしかったりする。かなり長い二本の杖で大地に繋ぎとめられているようにも見える。
 肉体がきしむようなバキバキという大きな音。杖にぶら下がってかろうじて立ち、杖につかまって動き、さらには二本の杖を接いで長い一本の棒にしてそれを天秤棒のようにして遊ぶ。やっとわずかばかりのやすらぎ。天井から吊るされた6、7の鏡に向かう。それからゆっくりと身体を沈めはじめて、再び地上にへばりつくように臥す。
 途中でかつらを取るとスキンヘッド。大部分の衣服を取ってあらわれたイディットの身体は、足が太いなど決してカッコよくはない。だからこそ存在感があり、しかも動きは変幻自在。社会性も高いテーマを、そのような身体の雰囲気で表現する。

 男性ダンサーのディマ=ディミトリー・チェルバノフによる「アイアン・モス(鉄、苔)」は”陽”の世界を描く。上演時間約40分。
 毛羽立ったスーツ姿で、イディットのダンスのような陰鬱さはないが、そんなに明るいというわけでもない。ディマも同じようにスキンヘッドで、服を取った身体は鈍重にさえ見えるほどだが、動きはもちろんいい。ただ”陽”の世界のほうが情念が薄いのかやや単調で、マスクを使った工夫などあってもけっこう眠たかった。

 「シアター・クリッパ」は大掛かりな公演が多いらしい。だが、このような公演でこそダンサーの実力はよく見えるようで、重すぎる現実を表現してテクニックを超えたものを感じさせてくれた。その表現方法やテーマに、コンテンポラリーダンスの幅の広さを思い、その可能性を感じた。

 このステージはきょう1ステージ。かなり空席があった。


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