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《2004.10月−8》

低級で的外れのデコレーションに、白ける
【おとのなき音楽に名を (翠平船)】

作:鳴海沓子 演出:馬島あさひ
11日(月・祝) 13:05〜14:50 甘棠館Show劇場 1200円


 まずテーマありきという脚本で、そのテーマのために強引にストーリーをつける。時代設定などきわめて非現実的なうえに想像力も貧相で、内容のないところを引き伸ばしたためにものすごくトロい展開だ。盛り上げようとくだらないやりとりばかりで退屈なうえに、そのあまりのセンスのなさに白ける。
 せっかく音楽への思いが顕われたところもあるのだから、つまらんことせずに素直にそれを深めていけばいいのに。

 大戦中、禁止された西欧音楽をヴァイオリンで演奏する男。それをX線フィルムを再利用したレコード(ソノシート)にして売る男。
 その音楽は反戦活動家たちに影響を与え、売った男は情報局に捕まるが、情報局内にシンパがいて反戦活動家が情報局を襲撃し男は逃げる。一方、演奏していた男は婚約者がいるのに軍隊を志願して戦地に赴く。

 何とも奇妙な脚本で、脚本選びをまちがっている。
 冒頭のやや気取った思わせぶりなシーンのあとなぜか突然に現代に飛び、売った男の葬式の話。90歳で死んだ男の孫娘の香典泥棒話からはじまり、葬式は男が借金逃れのために打った狂言だった―なんちゅう話がけっこう長い時間続くいびつさで、しかも現代のシーンはここだけで終わりメーンの話とは何らからまないというひどさだ。
 ほとんどのシーンに現実感がない。絵空事の世界の中で、人物は作者の概念的でなまくらな言葉を長々とくりかえすばかりで、もううんざりする。ギャグも劣悪で、例えば似顔絵で「へのへのもへじ」を書いて「へのへのもへじさん、大好き!」などと、幼稚を通り越してゲスとしか言いようがない。見ているこっちまで恥ずかしい。そんなレベルのやりとりがゴロゴロしているのだからたまらない。せっかく作り上げた数少ないしっとりとしたシーンの息の根を止めてしまう。

 音楽への思いがあふれたしっとりしたシーンを深めようとしないで、なぜよけいなことばかりに向かってしまうのだろう。背景をきちんとしそれに対応したセリフをきちんとしていけば、脚本の質は大きく上がるはずなのに、なぜそれをしないでくだらなさにばかり流れたがるのか理解に苦しむ。
 「過剰な演劇」というのがあるが、この作品はみごとに的を外した「無駄な演劇」だといってもいい。デコレーションを考えるよりも内容充実が先だろう。

 この舞台は劇団翠平船の第11回公演で、きのうときょうで3ステージ。2ステージ目を観た。20人強の観客だった。


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