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《2004.10月−14》

ピンと張りつめた緊張感が、みごと
【天神de能「清経」 (博多「楽」)】

構成:博多「楽」
23日(土) 19:00〜20:50 イムズホール 招待


 天神de能 は今年は「葵上」と「清経」で、昨年の「土蜘蛛」の派手さはないが、きょうの「清経」はキラリと輝くような清冽な舞台が印象的だった。

 きょうのプログラムは、はじめに鷹尾維教による能全般およびきょうの演目についての解説のあと、素囃子「男舞」と仕舞「班女」。休憩後、能「清経」。

 鷹尾維教による解説は約30分。分かりやすいが、ここで分かったような気になっているとあとで困ることになる―というのが、あとでわかる。
 素囃子「男舞」も仕舞「班女」もスッキリした印象。それだけで気持ちよくなってついウトウトしてしまう。もっと目を見開いて工夫のあとを見るべきだったと、あとで反省しても遅い。上演時間は素囃子が約10分、仕舞が約5分。

 能「清経」は、都で夫・清経の帰りを待つ妻のもとに、家臣・淡津の三郎が、一門の行く末に絶望して自害した清経の遺髪を届けに来る。夫をなじり遺髪を受け取ろうとしない妻。夜、妻の枕元に清経の亡霊が現れる。
 セリフがわからないのがつらい。解説では能のなかでもわかりやすいセリフと言われていたが、それでもほとんど聞き取れない。そういう面ではロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのシェイクスピア劇よりも難解だ。清経と妻との丁々発止のやりとりの、ふたりのあいだのピンと張りつめた緊張感がみごとで、それは舞いだけでも十分に楽しめるが、セリフがちゃんとわかればこの心理劇の深さ大きさをもっとちゃんと感じることができたのに、と悔しい。
 遺髪を見つめる妻の面の表情に、その精神性がみごとに顕われていて、面の持つ力を感じさせられた。上演時間50分。

 終演後の交流会に参加させてもらい、鷹尾維教さんと話した。「1円でもお金を取る以上はプロで、お客様を喜ばせることを第一義に考える」と言われたことばから、お客のことなど二の次の小劇場演劇の甘ったれぶりを再認識させられてしまった。

 この「清経」の舞台はきょう1ステージ。若干空席があった。


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