男性俳優が演じるコクトーの「声」―始まる前からワクワクで、この集団らしく惹きつけられる企画だ。しかし見終わったあとでは、内容が薄い舞台にかなり不満が残る。
徹底的に理詰めで進められ、グリグリと喰い込んでこない。時に情念を噴出させる菊沢憲将の肉体も、この舞台では押し黙ったままだ。
去っていく男からの電話にすがりつく女。しかし男は、女に出した手紙を取り戻したいだけ。という、女優のための一人芝居。
19:00 から19:30 までは、「声」のドラマリーディング。本編も演じる菊沢が朗読し、解説が岩井眞實。流行りのドラマリーディングだが、今回初めて見た。
中性的な菊沢がなかなか魅力的で、抑えた表現がなかなかいい。解説については、本編を観終わった今となっては、本編のほうが圧倒的にわかりやすい―すなわち、よくできた戯曲であることをわからせてくれる、そういう効果はあった。
ドラマリーディングのあと19:30 から20:30 まで長すぎる休憩だが、連れがいれば楽しい。
20:30 から本編上演。この作品は、理では受け入れても情や身体が受け入れられない別れを通して描く恋愛賛歌だが、理詰めで形にこだわる演出の欠点が、女の思いを引っぱりだすのではなくて、逆に封じ込めてしまった。
さびしい言葉はさびしくなどと、読み取った内容を即物的にしか表現できないことの単調さ。ストーリーを追うことばかりで舞台は緊張をはらまず、わかるけれど感じない。
ドラマリーディングのときより菊沢に魅力がなくなったように感じたのは、身体の表情を殺してしまう最悪の衣裳も原因している。
パンフには予防線がいっぱいでうんざりする。そのなかでも、「思いは胸の中にしまっておいて下さい。見終わって語り合うことなんてしないでくださいね。」と、反語ではなくて大真面目なのが理解できない。「なら、そんな舞台作ってよ!」と言いたくなるし、観客にアンケートを取るのもやめればいい。
こんな言葉で、緒に着きはじめたばかりの演劇感想blogなどに水をさして何の意味があるのだろう。いろんな見方に耐えられる舞台が現れれば、感想はもっともっと多彩になる。
この舞台はきのうときょうで2ステージ。満席だった。