*** 推 敲 中 ***
かなり切ない芝居だが、全体的にはその切なさを強調するアイディアが散りばめられていて、楽しめる舞台になっている。
ルイジの家にたむろする若者たち。定職を持つのはひとりだけ。大人になるべく、ルイジは高給も可能な新しい仕事に就くが、それはマルチ商法の会社だった。
ていねいに作り上げられていて、一見わかりやすい舞台だ。演出も演技も切れがよくて、センスもよくて、いつものようにその質は高い。
だが、観ていてなんか落ち着かない。どこに行くだろうという一抹の不安がぬぐいきれないで、心もちイライラがある。その不安とイライラは、ときに強くなったり一部は進行に伴って解消したりもする。
それは何でだろうと考えた。それはたぶん、乗り越えるべき「問題」の提示が、絞り込んだ形ではなされないことのためだろう。
だがそれは、物語を大きく展開していくのがストーリーテラーとしての池田美樹の特徴であり、ひとつの「問題」に絞り込まないというのが池田が作り上げた作劇法といえる。
「こども廃業」という題名に引きずられて、「(どのようにして)大人になれるか?/なれないか?」に絞り込んで見ようと思っても、そんな私の思惑など知ったこっちゃないとばかり、話はいくつもの「核」を跳びまわる。
そのための仕掛けが「マルチ商法」。そこは虚構の世界で、そこは、がんばらなければ道は開けないが、がんばって成功しても自ら傷つくだけという八方ふさがりの世界。結果、何とも中途半端な生き様しかできない世界。乗り越える課題はあっても、その課題に意味がない。価値の多様化というよりも、価値の空洞化だ。
その世界で子どもを廃業しようとしても、大人としての成功もあり得ず、人間までを廃業しなければならなくなるかもしれない。だからここでは、挫折のほうが成功よりもいいかもしれない。そのように、生き様までが相対化されて俎上に乗せられる。考えてみればニヒルな世界だ。
だから、そのさりげない終わり方。そこに無理にでもメッセージを読み取ろうとすれば、「いろいろあるよ」ということだろうか。それを一本の芝居にして見せてしまうのが池田美樹のすごさだということだろう。
間違っているかもしれないけれど、やっと池田戯曲へのとっかかりを見つけたかなという気はしている。そのような池田戯曲の構造がわかれば、観ていてのイライラはかなり解消される。
ただ言わせてもらえば、ときどき混じる幼稚な言わずもがなのセリフが気にはなる。それを排除するとともに、複数の「核」を見つめる複数の「眼」の、「核」と「核」、あるいは「核」と「眼」との関係をさらに際立たせ、それを自在な視線でさらに大きく強調すれば、作品はもっともっとおもしろくなるような気がする。
この舞台はきょうとあすで3ステージ。ほぼ満席だった。