ほとんど何の修飾もなく、事実の重みだけを素直に訴えていこうという芝居。しかしただそれだけではなくて、その事実の重みをリアルに訴えるのに、演じる人の芸というか存在感がなければ説得力もないことをわからせてくれた舞台だった。
北島角子の生き様が芸そのもので、慶良間島の老婆の生き様をみごとに我が物としていた。
二部構成で、第一部が語り「『やさしさ』と出遭って」、そして第二部が一人芝居「赤いブクブク」。
第一部は、「寄言」(心を寄せる言葉)ということを通して言葉の力を語る。言葉の使いようで人の心を柔らかくすることを、老いた母親とのやりとりを例に語ったのがおもしろかった。
先祖への供え物を作るのに、かまぼこを使うべきところ買い忘れてポークで代用した。それが不満な母親を説得するやりとりが笑わせる。
入院している母親の病室にドライフラワーを持って行き母親に責められるが、よく考えたと母親に感謝されるところまで180度転換させる、言葉あそびのような説得の言葉も笑わせる。
琉歌を吟じれば圧倒的な声量。「沖縄は蜘蛛の巣にかかった蝶々」だと謡う。一人芝居の取材の過程も話された。1時間強。
第二部の一人芝居「赤いブクブク」は、沖縄戦を経験し生き残ったミヤギハルミさんの話を芝居にしたもの。慶良間島に住む老婆が、訪ねてきた50歳すぎの娘に沖縄戦の体験を語る。
集団自決を伸ばして壕に戻ったところに米兵が現れ、壕の中で親が子を殺し親自らも死んでいくという凄惨を体験するが、米軍に救われて父とふたりが助かる。
台を3つ重ねて縁側に見立て、スポットライトも音響もなし。動きもほとんどないから語りがすべてだが、元になった話をうまく再構成していて、冷たくもなくダラダラと変な感情移入もしないで、事実がごく素直に伝わってくる。
かみそりで親が子の頸を切るシーンは、演じる北島角子からさえ目をそらすほどだ。そのような凄惨さをひき起こしたのは、捕虜になることを最大の恥辱とした当時の教育だったと思い知らされる。敵に対する異様なまでの敵愾心をあおり、民間人までを自決に追い込むというような強制が、教育といえるだろうか。なのにそれを受け容れて敢然と死んでいく子どもに、二重の哀れさを感じる。
抽象的な説明はほとんどなく、事実だけが語られる。その事実から、国家に見捨てられながらも国家の与えた規範を捨てきれず死ぬという、島民を死に追いやった国家の犯罪までが見えてくる。上演時間約35分。
この舞台はきょう1ステージ。満席だった。