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《2005.7月−2》

倉持裕は、キライだ
【Pagliacci (クリオネ)】

作・演出:倉持裕
2日(土) 19:05〜21:05 西鉄ホール 4500円


 ほんとにおもしろい舞台だ。だが、そのおもしろさが説明できない。説明できなくてもいいのかもしれないが、大きなことを見落としているのか、自分のなかでまったくまとまらず納得できない。それが作品のねらいかもしれないとも思える。
 もともと全体が虚構なのはわかった上の話だが、それでも実体と虚構とが入れまじって区別がつかなくなるというトッカカリのない舞台で、種明かししてよ!とまでは言わないが、謎解きができるヒントとかキーワードがほしいと切に願ってしまう。
 あ〜ぁ、そんなふうで、何もわかっていないとせせら笑われることを覚悟で感想を書くのはけっこうつらい。逃げだしたくなってくる。

 オペラ劇場のVIP室。そこは客席に通じている。
 オペラ歌手ミスズ(舞台には登場せず)の恋人で作曲家の細山。きょうは畑山の友だちの劇作家・水内が観劇にきている。そこに飛び込んできた堀込は、自分は細山の落し物だという。細山は堀込に押されて、堀込を自分の兄だと認めてしまう。さらに幼なじみの奈江が登場。
 さらに、細山のかっての行きずり女・久留子とその夫。細山がいまアプローチしている劇場付属のバーに勤める多希がからむ。さらに、ミスズのマネージャー宇賀、殺し屋の木村、警備員の西巻と大寺がからむ。木村と西巻は警察での同期。
 そして事件は起こる。第一幕途中で木村が客席でピストルを発砲。しかし舞台は続行。木村に発砲を頼んだのは宇賀とわかり、ふたりは追い出される。が、第二幕でさらに木村はライフルを発砲。それでも舞台は続行。それを頼んだのは、細山だった。さらに、水内とミスズとは実はできているらしい。

 ・・・と書いていったらキリがないし、書いたところで大事なところはわからない。勘の鈍いわたしには、倉持作品の感想をまとめるのは、ほんとうに荷が重い。
 それぞれのシーンのおもしろさは楽しめるが、意図的に放置された矛盾や不条理という飛んだ発想についていけない。目を皿のようにして大事なところを見落とさないようにしても、矛盾が解決できないと、アプローチがまちがっていて構造をとらえるポイントがずれているのではないかと考え込んでしまう。作品では待っていた謎解きもないから、倉持作品にほんとには入っていけないコンプレックスにいらつく。ひょっとしたらそれがねらいで、それが新しさかもしれないと、自分をなぐさめたくもなってくる。
 関係する人物の思いはバラバラで、すれ違って一向に結びつかない。そのすれ違いの断層がいくつも顕われ、ツジツマがあわずにイライラする。
 チラシには「シチュエーションカメディ」だと書いてある。エ〜ッ? シチュエーションを壊していくばかりのこの舞台が「シチュエーションカメディ」であるはずがない、と怒りを込めて叫びたくなってくる。

 こう考えた。
 細山にとって「捨てた」兄と奈江と久留子は、もはや現実のものではない。それが無理やり細山の現実に割り込んでくる。しかしラスト、細山がミスズに「捨てられた」ことが明らかにされる。
 そこですべては反転する。現実と考えていた細山、宇賀、木村、西巻、大寺こそが実は虚構だった。木村の発砲は虚構が現実を撃つ行為だが、虚構が現実を撃てるわけもなく、当然にオペラは続行されるのだ。
 という、強引にこじつけすぎた陳腐なこの解釈が、当たっているかどうかわからない。ただ、考え出すとワラにもすがりたい気持ちになって、例えば「リバーサイド11」といいながらリーフレットの配役表は10人で、木村役の玉置孝匡の名前がなぜないのかなど、いろいろ考えこんでしまった。

 謎解きというか、解釈はいくつも可能なのかもしれないし、解釈そのものが無意味なのかもしれない。どんどん繰り出される不可解さとそれが作り出す雰囲気が非常におもしろいし、ギクシャクな断層を跳び越える俳優の軽快な演技を楽しめばそれでいいのかもしれない。
 でもまあ、発想に乏しくてパズルに弱い私にしては、弱いながらにいろいろ考えて楽しませてもらった。

 この舞台はきょうとあすで2ステージ。満席だった。


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