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《2010.6月−1》

なんか、いびつなんだよね
【家族耐久・野口家 (ホールブラザーズ)】

作・演出:幸田真洋
6日(日) 14:35〜15:35 ぽんプラザホール 招待


 1時間ほどの短編舞台の2本連続公演の1本。
 内容も表現方法もかなり中途半端で、喰い足りない。

 かって地方ラリーで活躍していた4人の兄弟姉妹。
 長女が交通事故で娘を亡くして、4人そろってのラリー参加どころではなくなってから3年。弟は、姉のラリー復帰を願うのだが・・・。

 この舞台、ずいぶん迷いながら手探りで作っているな、という印象がある。
 その迷いが、俳優たちにはとまどいとなって、それがじっくりとした演技を少しは引き出してはいる。
 しかし全体的には、短編とはいえ突っ込み不足で、浅くて単調な舞台になってしまっていた。工夫の余地は大きい。

 次女がなぜラリーにかかわりたくないのか、どう考えているのか、よくわからない。
 長女が車を拒絶しラリーを拒絶するのはわかるが、特段の動機もないのに、ラリー参加の決意はおろか、やめていた運転をすぐにでもしたいと言い出す。そんなに都合よく大転換はしない。
 そんなふうだから、ストーリーとしてはあっても、ドラマは非常に希薄だ。大転換の心の動きを描いてこそのドラマなのに。

 「舞台では誰かがいつもしゃべっていなければならない」という強迫観念に捉われているようなセリフの洪水で、質の悪い放送劇の趣だ。
 セリフは、冗長な説明と、よけいな突っ込みやくすぐりが多くて、そのことが却ってセリフを単調にしてしまった。目をつむっていてもわかるというのは、演劇としての魅力に乏しいということの証明だ。
 説明をしゃべるのでは俳優としては演技のしようがないだろうし、気持ちを先にしゃべられてしまったんじゃ観客としても白ける。

 身体性に裏打ちされたリアルな会話とはどういうものだろうか。
 俳優はかなり強引に役に分け入ったという印象はある。しかしなにせ、脚本が浅すぎてやりようがないし、本気でやれば脚本をはみ出して浮いてしまう。
 それぞれの人物の内側に流れる意識をどう表現すればもっと観客に届くのか、意識と身体性の関係など、もっともっと考えて工夫・改善すべき点は、特に脚本に多い。

 その脚本の浅さについて言えば、4人の人物が同じ方向を向いていて、それを確認するだけという単調さに原因がある。
 別々に暮らしている兄弟姉妹が、このように同じ方向を向いていることのほうが特殊であり、そのように設定したら、乗り越えるべきものが低すぎて、ドラマとして深まりようがない。
 同じ方向を向いていないものをどうするかこそが普通で、それこそがドラマになる。そこを見つめようとしないこの脚本は、最初から腰が引けているといえる。

 この劇団の持ち味であったどぎつさが消えて、おとなしくていい子いい子という演劇になっているのが物足りない。
 人間の業を鋭くえぐる素材を、もっとリアルに表現する。その方法を本気でさぐってほしい。

 「耐久家族」は全6ステージで、この「野口家」編は3ステージ。ほぼ満席だった。


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