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《2010.8月−9》

コピーするなら、つぼを押さえたコピーを
【髑髏城の七人<アカドクロ> (FPAP)】

作:中島かずき 演出:棟久綾志郎
21日(土) 19:05〜21:10 ぽんプラザホール 1000円


 福岡の大学演劇界には魅力的な俳優がたくさんいる、というのがわかった公演だった。
 40人近い出演者というスケールの大きい時代劇がいちおう形にはなっていて、お祭りのイベントとしては成功していた。
 それは、演出までをコピーする安全策を取った当然の結果であって、ほんとは、その演出と演技にもっと大学生らしいアプローチがあってもよかった。

 秀吉に対抗して関東から天下を狙おうとする関東髑髏党の首魁・天魔王の拠城が髑髏城。
 そこにある縁でひきつけられていく人たち。そこには天魔王そっくりの玉ころがしの捨之介も。天魔王とは何者か、そしてひきつけられてきた人たちの運命は・・・。

 時代劇がそれらしく見えるための準備に取り組んだ、熱い熱意は伝わってくる。
 半端ではない衣装や小道具。たくさんの出演者による殺陣も簡単ではないだろう。そこをみごとなパワーでクリアしていた。

 しかし、肝心の舞台はどこかポイントを外していて、思ったほどにはおもしろくない。その原因はどこにあるのだろう。

 「髑髏城の七人<アカドクロ>」というから、この舞台が<アカドクロ>という演出をコピーする舞台だと宣言している。
 問題なのは、そのコピーのしかただ。元の<アカドクロ>の演出から何を引いて何を残すか、この舞台ではその見定めができていない。

 演出でテクニカル面をある程度捨てるのはやむをえない。しかしここでは、シンプルで重厚さにあふれた元の演出の基本的な手法までも捨ててしまっていた。
 あるいは、元の演出の基本的な手法に気づかない。気づいてもちゃんとコピーしようとしない。そのような弱さが目立った。
 本家の<アカドクロ>の演出を十分に研究して本気でマネしていれば、それだけでこの舞台のおもしろさはまったく違ってきたはずだ。

 この舞台にグイと引きこまれないのは、重厚さと切れが乏しくて、状況の変化がクッキリとしないためである。
 例えば捨之介は、2役の天魔王との対比のために軽薄なところを強調してしまっていて、重厚さがなくて平板なキャラになってしまっていた。
 どの役もそうだが、ためるところをキッチリとやっていかないと、重厚さと切れは出てこない。迫力を生んでいる元の演出のそういうための呼吸への認識は薄い。
 これは集団演技についても同じことだで、抑えの効かない絶叫演技が舞台の質を落としていた。地元演劇のまねはしないほうがいい。
 そんな大事な演出なのに、演出者は重要でおいしい役である狸穴二郎衛門を演じている。そんなことしてないで、ちゃんと演出に専念するべきだ。

 そのような演出の欠点はあるが、魅力的な俳優が何人もいて、ときにキラリと光る演技をし、いい味を出していたのはよかった。
 卒業してからも福岡で演劇を続けていってほしいと願わずにはいられない。

 それにしても、こんな既存の演出からマイナスしていくような舞台ではなくて、既存の戯曲にプラスしていくような舞台が観たかった。

 この舞台は、ぽんプラザホール10周年記念 福岡・九州演劇祭の企画の大学演劇部合同公演で、20日から22日まで4ステージ。関係者の父兄とおぼしき人たちで満席だった。


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