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《2011.5月−1》

基本も押さえないで膨らませて、どうする
【「堀川波鼓」「ヂアロオグ・プランタニエ」「霊感少女ヒドミ」 (14+)】

作:近松門左衛門、岸田國士、岩井秀人 演出:中嶋さと
1日(日) 14:00〜15:50 西鉄ホール 共通チケット10,500円


 何のためにこの3本を上演するのかわからない、という公演だ。
 比較的短い戯曲の3本立て。その全体を通しての印象は、ただ雑駁なだけで、戯曲のおもしろさは引き出せていない。
 惚れこんでもいない戯曲を、自意識過剰なだけの工夫もない演出で見せられても、白けるだけだ。


「堀川波鼓」(作:近松門左衛門 脚本:村上差斗志 演出:中嶋さと)上演時間約50分

 近松の三大姦通物の一つで、鳥取藩士が妻敵を討ったという事件を浄瑠璃化したもの。その浄瑠璃を、この劇団の村上差斗志が潤色している。
 その潤色では、鳥取藩士・小倉彦九郎の妹・ゆらが登場せず、その離縁の話が省かれたために、切迫感の乏しい舞台になった。

 この作品のポイントは、彦九郎の妻・種が、鼓の師匠・宮地源右衛門と姦通に走った動機である。
 もともと近松も十分には描いていないといわれるそのところに、演出は考察を加えきれていなくて、何ともサバサバとしていて味気ない。
 酒が理性を鈍らせた種は、つけざしから、男の手をとり、男の身体に手を回してその帯をほどく。何たる帯のほどき方だ。そこには、姦通にのめりこんで行く女の心と体を、ほとんど表現できていない。

 現代口語演劇風のしゃべりだが、であれば、それに対応したセリフの饒舌さが必要だろうが、そんな工夫はない。本来、じっくりと段階を踏みながら変わっていくべき展開が、引っかかりもなくさっさと進んでいく。
 個人の問題が社会の問題として、大きな問題となって個人が押しつぶされていく。この舞台の浅いアプローチからは、そんな悲劇が見えてくることはない。


「ヂアロオグ・プランタニエ」(作:岸田國士 演出:中嶋さと)上演時間約15分

 一人の男をめぐる二人の女の会話劇。エスプリに富んだ会話の妙が楽しめる戯曲で、うまく演出すれば味わい深い舞台になるはずなのだが、舞台は平板なまま。戯曲のおもしろさは引き出されてはいない。
 短い戯曲だが、転換点はある。ところが、あまりに無造作にダラダラとセリフがしゃべられていて、その転換点をわからなくしている。

 まともな演出がなされているならば、軽くしゃべられても重要なセリフは届く。それが届かないのは、コンテクスト無視で、ただ無造作にしゃべられているだけだからだ。


「霊感少女ヒドミ」(作:岩井秀人 演出:中嶋さと)上演時間約45分

 劇団員の女にアプローチする男を思う2人の女性ゴースト。ゴーストたちは、生身の男から愛されれば生き返れるらしい。
 なんかゴチャゴチャした印象の、センスの悪い舞台だ。その印象は、男(英実)役のミスキャストの影響が大きい。男と劇団員の女との関係がほとんど不可解でイメージできず、生き生きしたセリフも生きずに、舞台を鈍重なものにしてしまった。

 戯曲の中に仕掛けが書かれているとはいえ、そこだけに終わっていて、演出でイメージを膨らませるということはない。中途半端な演技が多いなかで、好佳役の朝長舞だけが心に響く演技をしていた。


 惚れこんでもいない戯曲を、選んできてはいけない。
 心底から惚れこんでいれば、たぶんこんな上演にはならないだろう。もっと演出と演技のレベルを上げるだろう。これでは演出というよりも、思いつきを並べてふざけているといった趣だ。

 この舞台は、第5回福岡演劇フェスティバル参加作品できょう2ステージ。ほぼ満席だった。

***福岡演劇フェスティバルの共通チケットについて、ひと言書いておきたい***
 「パル・フレナック・カンパニー」がなくなっても同一値段というのは、契約違反であり、対応に納得がいかない。もともと割引率が高いからとか、払い戻しをすればいい、という問題ではないはずだ。善処を望みたい。


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