重いテーマを選んで正面から取り組んで力を尽くしている。その意欲が伝わってくる舞台だ。
大地震と原発の事故で世界の滅亡を垣間見て無常感を抱きかかえた今、その重いテーマは、さらに生々しく迫ってくる。
1年10ヵ月後に地球に隕石が降り注いで世界が終わることが宣言された。
宣言の直前に自殺しようとして助かり、世界を受け容れられなくなった少女のまわりに、少女を助けたい人たちが擬似家族を作る。
世界が終わるまでの、1年10ヶ月前、1年6ヶ月前、1年4ヶ月前、4ヶ月前、3日前をたどりながら、擬似家族の状況を通して、滅亡の淵に立つ世界の状況が伝わってくる。
自殺未遂のショックで少女は世界を受け容れられないが、少女を囲む人びとは、滅亡する世界を受け容れられないという思いを少女に仮託して、擬似家族としてまとまって生きていこうとする。
だが、スムーズにばかり行かずときに行き違い対立するが、家族はそれを乗り越えていく。
そして時間の経過とともに、擬似家族がみんなにとって非常に居心地のいいなくてはならないものになっていくところを、舞台は、人物の身体感覚伝わってくるほどにていねいに描いていく。
だから、ラストの擬似家族が壊れたあとの喪失感が、ほんとによく伝わってくる。
パニックに陥った人びとが時間の経過とともにどう変わるかについても描かれている。
当初の混乱は早い時期に収まり、人びとは平静をとり戻し、滅亡の日までをちゃんと生きようとする。
こんどの大震災の様相と重なるような状況を、作者は想像力を働かせて書いていた。そこには、人間への信頼で大きく貫かれている。
基本的にそうではあるが、おぞましいところも避けてはいない。
家族が自衛するためのピストルの所有の是非が争われる。暴漢に襲われた母の恐怖の後遺症の表現はくどいが、それはそれで納得できる。
そのような負の部分をちゃんと描き、それが時間の経過のなかで正の部分と絡み合いながら、ときに大きくときに微妙に変化していく。そこをうまく表現していた。
思いを、熱意を込めて自分の言葉でストレートにぶつけていて、全体の印象は非常に朴訥だ。
演出も真正面から泥臭くしつこく取り組んでいて、センスが非常にいいという舞台ではないが、正面突破の姿勢がこのテーマに合致している。
ただ、この劇団らしいユーモアもちゃんとあって、重苦しくなるのをうまく避けていた。
あえて言えば、少女の描き方がややふらつくのと、常套的な演出が紛れ込んでいるのと、少し聞き取りにくいセリフがあったのが気にはなった。
この舞台は福岡演劇フェスティバル公募枠公演で、きょうとあすで3ステージ。会場が広いためもあるが、空席が多かった。